ROGUEギタリスト香川誠が語る、当時「終わりのない歌」に感じた強い違和感
歌い手は歌いたい歌詞を書くのが、ある意味正解なんだというのに気がついたような曲
LIKE A MOON / ROGUE 香川:歌詞はシンプルな振られた男のラブソングですけど、僕は歌謡曲というかポップスってこういうものでいいと思っていたんですよね。 田家:ギター色っぽいですね。 香川:こういう歌詞の内容でみんなで歌えていいのかなと思って作ったんですよ。これはキャニオンに行けるってわかってから作っている気がして。 田家:メジャー感ありますもんね。 香川:だからそのへんが天才香川は器用なので、ころっとシフトチェンジをしてみるんですけど。 田家:メジャーになったときにこれから違う何かをやっていこうというのはあった? 香川:この曲のプロモーションビデオを作ったり、ジャケットのデザインをするときにものすごく不快な思いをして(笑)。 田家:その話も後ほど伺おうと思います(笑)。 終わりのない歌 / ROGUE 田家:1987年の4枚目のシングル「終わりのない歌」。アルバムは6月に出た「VOICE BEAT」なのですが、今聴いてもいい曲ですよ。 香川:いい曲ですよね。 田家:詞曲は奥野さんですけど(笑)。 香川:嫌で嫌で。もうジャケットあたりからもう嫌で、コンセプトが嫌で。全て嫌でしたね。 田家:『VOICE BEAT』のジャケットもちゃんとこのボックス・セットには。全アルバムのジャケットが載っておりますが。 香川:うーん。 田家:どこが嫌だったんですか(笑)。 香川:デザイナーの人が入ってきて、その人のコンセプトと奥野がハモったんですよね。奥野がハモるのは構わないんですけど、奥野のハモリを僕らにもハモれって言われても、いやいや、一緒にコーラスできませんけどって感じにはなりましたよね。 田家:メンバーはスーツ着ていて、背景は工事現場の鉄骨。 香川:働くROGUEというコンセプト。 田家:コピーが「働くROGUEは美しい」。 香川:僕らは働いている意識がないので、バンドって働いてないでしょうって思っていて。 田家:遊んでいるわけではないかもしれないけども。 香川:でも遊んでいるので(笑)。働くとか「終わりのない歌」に関しても、仕事がいくらあっても暮らしが変わらないとか言われても、何言っているんだろうって感じでしたよね。 田家:これが詞曲が奥野さんなわけで、奥野さんが上京して東京で暮らしていて、そこで感じた孤独や自分の弱さを歌っているという話がありましたね。 香川:らしいですけど、そうは見えてなかったので全然。 田家:出来てきたときには奥野何を考えてるの?って感じがあった? 香川:うん、ありました。何考えてるの?というか、え!って感じ。メッセージを僕は極力排除した曲しかないのに、奥野はこの曲ぐらいでものすごくストレートにメッセージを書いたんですよ。それに賛同する人とか反応する人がたくさんいて、今いい曲に仕上がっていると思うんですけど、一緒に20代半ばの僕らと同時に今60歳近くになった人は本当だよなってしみじみ思える曲だったりもするように成長しましたけど、僕は20代のときは1つも1mmも理解できなかったですよ。 田家:Mr.Childrenの桜井さんはこの曲が好きだったという。 香川:嘘のようなことを言ってますけどね(笑)。 田家:そういう若者たちがいっぱいいたんでしょうね。自分の弱さを抱えながら生きている若者たち。 香川:弱さとかっていうのを表に見せてはいけないという美学なので、僕とかは。なので、それを歌っちゃダメだと思っていましたから。 田家:ロック・バンドなんだよ、俺たちは。 香川:そう、チャラいんだよって。金髪なんだよとかって思っているのに、一生懸命働いてもね、ギャラが上がらないんですよというのは歌にしちゃダメだと思ってた。 田家:その話はまだ続くと思いますが、香川さんが選ばれた6曲目です。「MY HONEY」。 MY HONEY / ROGUE 田家:1987年のシングル『LIKE A MOON』のカップリングの「MY HONEY」。アルバムは『VOICE BEAT』の中に入っておりました。 香川:いろいろなリズムのバリエーションが歌謡曲シーンも含めて、増えてきていて。こんなおもしろい楽しいウキウキするリズムやっていいんだというのはあったと思いますよ。 田家:奥野さんとは別々に上京されて、音楽専門学校でお会いになったんでしょう? 香川:うん、隣のクラスだったんですけどね。 田家:高校のときはどういうお付き合いだったんですか? 香川:違うバンドをやって、高校も違ったし、それぞれバンドをやっていて。奥野はアマチュアながらになんとか会館をいっぱいにできるくらい。あいつはビッグバンドでしたから、大きなバンド。その後、僕が作るグループは高校3年生ぐらい、奥野と分裂した連中と一緒にやったんですよ。奥野はテクノポップみたいなのをやっていて、わりと先端が好きだったんですよね。時代の。そんなので高3の終わりぐらいに楽器屋で今後の進路みたいな話になったとき、みんな就職するとか言っているときに東京行くんだ、俺も行くよって。専門学校って言ったときに、同じ専門学校だったんで、じゃあ向こうでねって言って会って、2カ月くらい夢中で遊んでましたね。3ヶ月ぐらいかな。新宿のツバキハウスっていうディスコ行ったりとか、輸入盤ってなんだよなんて言って、レコードを買い漁ったりとか一緒に毎日遊んでいました。バンドをやろうと言って上京していることをすっかり忘れてまして(笑)。 田家:バンドをやろうはどっちが言い出したんですか? 香川:自然発生的にどうする? バンドやる? って言って、奥野はベース・ヴォーカルがいいって言って、じゃあ俺がギター弾くよ、ドラムどうするかって言って、たまたまクラスの前の席の子が俺ドラムやってたんだよなんて自慢げに言ってたから、引っ叩いたら、わかりました!って一緒にやることになったのがROGUEの最初で。竜さん(深澤靖明)が入る前はそうやって学生としてやってみて。 田家:奥野さんは陽水さんとかかぐや姫とか、そういうフォーク、ニュー・ミュージックの方がわりと好きだった。 香川:大好きでしょうね。僕も嫌いじゃないですけど、奥野は本当にその叙情的なところも全部好きだったんじゃないですかね。 田家:それはなかなか見せなかった。 香川:うん。当時、奥野はモヒカンでガーゼのシャツを着て、僕も同じようなファッション・パンクをやっていましたから。 田家:そういうバンドが「終わりのない歌」を歌ったということが違和感があった。 香川:そうなんですよ。僕はそこにたぶん違和感があったんだと思う。もうちょっと虚勢を張って生きているはずなのに。 田家:東京に負けないぜみたいなものが。 香川:はずだったのにあれを書かれちゃうと、たぶん認めたくないっていうのがあったのかなと思いましたよ。