ROGUEギタリスト香川誠が語る、当時「終わりのない歌」に感じた強い違和感
俺、ギターぶん投げて、じゃあお前が弾けよって。俺帰るから、後頼むねってそれぐらいの大喧嘩をして(笑)
RUNAWAY GIRL / ROGUE 田家:『60 ALL TIME SELECTION』、Disc2の1曲目「RUNAWAY GIRL」跳ねてますね。 香川:アマチュアのときにライブハウス屋根裏というのが渋谷にあって、そこで僕はアルバイトをして、後に奥野もそこでバイトをするんですけど、そこで営業が終わった後0時から朝6時まで僕らが練習をするんです。そこに僕らのことをマネジメントさせてくれって言って手を上げてくれた岡野さんという方が、東京おとぼけCATSのマネジメントを僕らの前にやっていて、だからダディ。 田家:ダディこの間亡くなりましたもんね。 香川:そうですね。ダディとかあのへんが僕らをかわいがってくれるようになって、ダディが遊びにきちゃうんですよ、練習に。いろいろやっていたときにいろいろなことを言ってくれて、うるせえジジイだなと思いながら(笑)。ダディが加治木剛だっていう。 田家:カルメン・マキのね、作詞をしている加治木剛ですからね。 香川:僕らの中ではどうでもよくて(笑)。知ってましたけど、あ、そうなんだって。でも、歌詞ちょっといじった方がいいよって。ベーシックは僕が歌詞を書いていて、高校のときに書いてその頃のバンドでやっていた曲で、これをROGUEでそのままやっちゃおうぜってやっていたんですけど、大人たちって言うのかな。じゃあ、少し変える?って言って、ここに落ち着いているんです。この歌詞。だから、これを聴くとダディを思い出したりもしますよね。 田家:さっきの「GOOD TIMES」も「RUNAWAY GIRL」も1枚目のアルバム『ROGUE』の中の曲でしょう。シングル、アルバム、ほぼ同時にデビューしている。それはかなりメジャーな形の力で入れているデビューってことになりますよね。 香川:そうだったんですかね。やっとデビューできるって言ってね、3カ月でやめちゃいましたけど(笑)。 田家:何があったんだろうという(笑)。やっぱり意見が折り合わないことがいろいろあった? 香川:このスタジオもそうですけど、ガラスの向こうにコンソールがいて、大人たちがいるみたいな。孤独の作業があるじゃないですか。ギターをダビングするというときにトークバックでもう1回とか、こことか勝手なことを言うんですよ。 田家:ディレクターが。 香川:最後に俺、ギターぶん投げて、じゃあお前が弾けよって。俺帰るから、後頼むねってそれぐらいの大喧嘩をして(笑)。 田家:何が折り合わなかったんでしょうね。 香川:なんでしょうね。ディレクターは僕らのことを気に入ってくれて、デビューまで持ってきてくれている前提ですけど、求めている先、ビートの感じとかは違ったんでしょうね。たぶん。 田家:ディレクターってどんな方だったんですか? 香川:BOØWYの最初のドラムの人ですよね。 田家:じゃあやっぱり俺たちのビートみたいなものがあるんだ。 香川:あるんでしょうね。ドラム出身というのもあるし、リズムにはうるさかったのかな。 田家:BOØWYみたいにやれみたいなのはあった? 香川:まあ、そういう言い方はしませんでしたけど。 田家:BOØWYと同じようにやれと言われるのは、かなり。 香川:嫌ですよ。後にマネージャーだった土屋くん、亡くなっちゃいましたけど。BOØWYが成功を見る日があるじゃないですか。東芝に移籍して。ほどない頃に僕は呼び出されましたもん。で、うちに来いって。 田家:あ、そうなんですか。 香川:土屋くんからしたらBOØWYというあのバンドで開拓者として成功の兆しを見て、先を走るから、その道を走れっていう意味だったと思うんですよ。それがちょうど僕らはインディーズの頃なので、どこも決まってないなら、うちへ来いって言ってくれましたね。 田家:なんで辞めたんですか? 香川:紙を持ってメンバーに話をしに行って、そしたら簡単ですよ。やなこったですよね、みんな(笑)。冗談じゃない。なんで先輩が歩いた轍を僕らが歩かなきゃいけないのかというのがわからなくて。BOØWYはアマチュアの頃から僕らはかわいがってもらっていたので。だから、親心もあって僕らを見てやりたかったんでしょうね。インディーズをやって、何も決まってないであろう後輩に来いって言ってくれましたもん。 田家:でも、バンドにも意地があるということで。 香川:冗談じゃないですよ(笑)。 田家:今回のオールタイムセレクションにはキングから出た『ROGUE』1枚目、2枚目がインディーズなのですが、『ANOTHER SIDE』、そのアルバムの中の曲も入っているのですがお聴きいただくのは、そこから出たシングル「恋のバカンス」。 恋のバカンス / ROGUE 田家:『60 ALL TIME SELECTION』のDisc3に入っております。「恋のバカンス」。ザ・ピーナッツのカバー。これはインディーズから出たシングルなんでしょう? 香川:そうですね。今聴きながら思い出したんですけど、これのプロデュースも1枚目のサウンドメイクをしてくれたのもおとぼけCATSのギターの浦山さんという方だったんですよ、ダニエル茜という。浦山さんにこれも頼んだ気がする。一緒にやってくださいって。 田家:なんでこれだったんですか? 香川:なんでだったんだろうなあ……もうメジャーじゃないし、インディーズになっちゃっているし、好きなことできるなと思ってなんでもやってみようかぐらいの時期だった気がします。僕ら「RUNAWAY GIRL」とかもそうですけど、わりとノスタルジックな曲もやっていたので。僕らみたいなバンドがこれ触って大丈夫なのかなって、当時ルールがわからないので正直に挨拶に行こうって言って先生のところに。 田家:宮川先生。 香川:宮川先生が六本木のマッドにいるよって話を聞いて、メンバーとマネージャーでカバーをさせていただきたいんですけど、よろしいでしょうかって。あそ、いいよ、やって。かっこよくしてねぐらいで。ありがとうございます!ってこれを作ったと思うんですよね。 田家:インディーズのランナーズレコードというのはどういうレーベルだったんですか? 香川:メジャーをすぐ辞めてしまったので、活動を停めたくはないし、事務所も作らなきゃいけないしって言って当時明治大学とかの所謂プロ研みたいな学園祭を仕切っている連中で、レーベルまで一緒に作って。 田家:ROGUEのための事務所? 香川:そうですね。それを作ったんですよ。で、ランナーズレーベルというのを作って。流行っていたというか、ケラとか有頂天とかあのへんも所謂インディーズという。 田家:ナゴムレコード、太陽レコード、キャプテンレコード。 香川:そうそう。それのノリで僕らも作ろうって言って、作って出した。 田家:1986年のコンサートのチラシというのが今回のブックレットに載っていまして、屋根裏で行われたコンサートのタイトルがあったんですよ。くたばれビート宣言 半端なビートはもううんざり。 香川:誰が書いたんですかね。 田家:香川さんじゃない? 香川:いや、僕は書かないですけど(笑)。誰が書いたんだろうなあ。 田家:「くたばれビート宣言」ということの中にもBOØWYと一緒にされるだとか、BOØWYみたいにやれみたいな流れに対しての反発みたいなものも感じますね。 香川:所謂マスコミとか、売る側の人たちとかがビート・ロックという言葉を頻繁に使うようになりだした頃で。 田家:はい、ビート・バンド。 香川:ビート・バンドとか。なんだそのカテゴリと思ってましたよ。 田家:そういう反骨心はずっと一貫したバンドですね。 香川:へそ曲がりだと思います(笑)。シンプルにへそ曲がりなんじゃないですかね。 田家:1987年にメジャーに復帰して、キャニオン・レコードから出すわけですが、次の曲はメジャー復帰のシングルですね。1987年6月に出た3枚目のシングル「LIKE A MOON」。