「キングダム」屈指の知将・李牧は史実でいかに活躍したか? ‟駆け出し時代”の活躍と、「悲しき最期」
今年は映画『キングダム大将軍の帰還』やドラマ『始皇帝 天下統一』など、始皇帝をモデルにした映像作品が人気を博した。統一戦争を進める秦に立ちはだかり、大いに苦しめた知将といえば、趙の大将軍・李牧である。 【写真】映画で「王騎」を演じた筋骨隆々の人気俳優はこちら 映画『キングダム』の中国史監修を務めた学習院大学名誉教授・鶴間和幸さんは、李牧の顕著な戦の才と、報われなかった最期について触れている。5刷3万部突破のロングセラー『始皇帝の戦争と将軍たち ――秦の中華統一を支えた近臣集団』(朝日新書)から、一部抜粋して解説する。 【李牧の生涯と、『キングダム』にかかわる史実に触れています。ネタバレにご注意ください】 * * * 趙の将軍・李牧ほど、秦王嬴政(えいせい)の軍に連戦連勝し果敢に撤退させた将軍はいない。 李牧の将軍としての才能は顕著であり、最初は北辺の良将として知られた。趙は北辺に長城を持ち、李牧は代と雁門(がんもん)の地で名を馳せていた。匈奴(きょうど)と戦わずして趙の辺境を守り、強国秦を抑えることに力を集中させた。辺境に設けた市場で得た租税を兵士を養成する費用に充てるなど、本国には事後報告という形で独自に臨戦態勢をとった。戦車一三〇〇、騎兵一万三〇〇〇、「百金の士」五万、弓兵一〇万を率いる名将軍であった。 この編制は、先にふれた秦の軍隊の編制と比べると、違いがある。秦では歩兵は弓兵の倍、李牧軍は弓兵が歩兵の倍となっている。騎兵の匈奴軍への対応には、歩兵よりも弓兵が有利である。李牧の騎兵は戦車の一〇倍、歩兵は騎兵の四倍である。秦軍では騎兵が戦車の一〇倍で同じだが、歩兵は騎兵の一〇〇倍もある。李牧軍はあきらかに匈奴の騎兵部隊に対抗する編制であった。李牧軍は、匈奴の十余万の騎兵を迎え入れて、歩兵と弓兵で挟み撃ちにした。 前二四三年、北の燕を攻撃し、武遂、方城を抑えた。北辺を安定させたことで、李牧は以降二度にわたって秦に勝利する戦闘に専念できた。李牧軍の秦軍に対する優位性は、機動力と李牧の統率力にあったと思う。