鉄拳当たり前、毎年出る“脱走者”「いい選手がやめる」 名門の理不尽な寮生活
横浜高に進学した中田良弘氏…2年夏までは恐怖の寮生活
1985年の阪神V戦士右腕の中田良弘氏(野球評論家)は名門・横浜高出身だ。甲子園には出場できなかったものの「あの3年間は鍛えられました。あの時代があったからこそ、その後もやれたと思います」と振り返る。その中で「もう恐怖、恐怖でしたね」と強調したのが当時の寮生活だ。エアコンなしの6畳に6人、先輩が寝るまで続けたマッサージ……。「毎年、1回は脱走するヤツがいましたねぇ」と壮絶な日々を明かした。 【動画】グラブ投げつけ、椅子転倒で絶叫 日本人メジャーリーガーに米ファン怒り「何なんだ」 中田氏が在学中の横浜高の寮は住環境としても厳しいものだった。「プールの下に各部の部室があるんですけど、野球部だけは寝泊まりするので、それをブチ抜いて、ちょっと大きめだったんです。6畳くらいの部屋がいくつかあってね。先輩と一緒に6畳に6人くらいかな。そこに布団を敷いて……。下級生の時は恐怖でしたね。クーラーなしで夏は暑くてたまらなかった。そんな中で、先輩が寝るまでマッサージしなきゃいけなかったし……」。 上下関係が激しかった。「足をマッサージしていて、あ、先輩、寝たかなって思ったら『おい、腰』って言われたりしてね。“ウワっ、まだ起きているのかよ”なんて思いながら。で、こっちが寝ていたら『ちょっとコーラ買って来い』とかね、そんな時代ですよ」と中田氏は話す。「クーラーが付いている部屋がひとつだけあって“スイートルーム”って呼んでいました。ちょっと広めで8人くらいレギュラークラスだけが入れるんですけどね」。 中田氏も3年生がいなくなる2年秋から“スイートルーム”に入れたそうで「もう別世界でしたね」とのこと。それほど違っていたわけだ。「1年生の時は昼ご飯もパーッと食べて、すぐグラウンドにいかなければいけなかった。ちょっとでもゴミが落ちていたり、へこんでいたら、すぐ“集合”になりますから恐怖でしたね。練習試合もミスが出るとまたいろいろと……。3年生が2年生に、2年生が1年生に、待っとけってね」。