「最悪中の最悪」の結果に終わったパリ五輪、引退も覚悟した走り幅跳び橋岡選手が再起を期す理由
世界トップクラスの実力を持つジャンパーが陸上人生で初めての挫折を味わった。男子走り幅跳びで、2018年U20(20歳未満)世界選手権を制し、21年東京五輪で6位に入った橋岡優輝選手(25)=富士通=は、表彰台を目指した今夏のパリ五輪で予選落ち。大会後は初めて引退を真剣に考えるほどのショックを受けた。失意から2カ月が過ぎた10月、インタビューで苦悩を明かした。(聞き手 共同通信=山本駿) 【写真】人生も、日本陸上界も変えた1991年の世界一 「こけちゃいました」のマラソン谷口浩美さん
8月4日の予選は1回目がファウル。3回目に7メートル81まで記録を伸ばしたが、上位12位による決勝進出ラインには9センチ届かなかった。 「最悪の事態が起きてしまった。自分でも想定し得る範囲の外の、最悪の中の最悪。助走の入りから、跳躍も全く良くなかった。自分で課した重圧、会場の雰囲気、いろんな要素にのまれて、自分を見失っていたのかもしれない」 「技術よりも気持ちの問題。今思えば、自分に自信を持ちきれていなかった。今まではどんな状況でもある程度は跳べるだろうと、どっしりと構えてやれている部分があった。今回はそれがなく、疑心暗鬼になっている感覚があった」 「終わってからは映像も見ていない。振り返るほどでもないぐらい、ひどかった。これまでの陸上人生でも、一番悔しかった。五輪だからと特別に思っていたつもりはなかった。でも、あふれてきた気持ちを思うと、それだけ五輪に懸けていたんだと。自分に驚きつつも、どこか納得しているところがあった」
試技が終わった直後は2022年秋から拠点を移した米国のタンブルウィードTCで師事するレイナ・レイダー・コーチに抱き寄せられ、涙に暮れた。その後はどんな思いで過ごしていたのか。 「正直ずっと後ろを向いていた。今は少しずつ前を向けるようになったが、特に最初の1週間は本当にひどかった。気持ちがすさんでいた。陸上が向いていないと思って、もうやめようと思った」 「きつい練習をもうやめたいと思うことはあったが、あそこまで真剣に陸上をやめようと思ったのは初めて。2~3週間は本当にやめようかなと、ずっと考えていた」 パリで予選の2日後には男子走り幅跳び決勝があった。当初の想定では、橋岡選手自身が立っているはずの舞台だった。 「見に行っていない。予選の日の夜に(サニブラウン・)ハキームの100メートルの準決勝があって、それだけはスタジアムに見に行った。自分の予選が終わって選手村の部屋に戻って、シャワーを浴びて、ご飯を食べて…。でも選手村から会場横の補助競技場に向かうバスの中で、近づくにつれて具合が悪くなった。もうパリの競技場には一生行かなくていいんじゃないか、と思うぐらい」