ウクライナ、イスラエルの陰で世界から忘れられた「スーダン内戦」が今後の世界の覇権競争に及ぼす影響
ウクライナ戦争、中東におけるイスラエルとハマスの戦争、イランとイスラエル間の攻撃の応酬に世界の目が集まっているが、アフリカでは850万人が内外で避難民となる悲惨な戦争が1年も続いている。スーダン内戦であるーー。 【写真】「ドイツに2万頭の象をプレゼントする!」とボツワナ大統領…いったい何が?
深刻な人道危機にもかかわらず
昨年4月15日、政権内の権力争いから、政府軍と準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」が戦闘を開始した。ダルフール地方を支配するRSFは、首都ハルツームを制圧したが、政府軍は紅海沿岸のポートスーダンを拠点に首都奪還作戦を展開している。 政府軍にはエジプトとイランが、RSFにはUAEやワグネルが軍事支援を行っている。イランはドローンを供与しているが、ポートスーダンに海軍拠点を設置することを狙っている。また、スーダンは世界有数の金産出国であり、資源の争奪戦も背後にある。 後述するが、スーダンをはじめとする、この地域の不安定な政治状況は、イスラム過激派の巣窟となっており、世界中にテロリストを送り出している。 国連安保理は、3月8日に、停戦を決議しているが、未だ実行されていない。これまで、約1万5千人が死亡し、人口約4700万人のうち約1800万人が食糧不足に苦しんでいる。激しい戦闘で、人道物資の搬入もできない状況である。 しかし、世界の主要国はウクライナや中東での戦争への対応に追われており、スーダン内戦への関心は高まっていない。深刻な人道危機にもかかわらず、「世界から忘れられた戦争」となっている。
スーダンの歴史
15世紀の大航海時代以来、ヨーロッパ諸国はアフリカに進出し、奴隷や象牙を求めた。その後、19世紀後半になって、産業革命による工業化が進むと、原材料を求めてアフリカの奥地まで進出するようになった。こうして、西欧列強による植民地化が一気に進んだ。 南下政策をとるイギリスと東進政策を進めるフランスは、イギリスがスーダン、フランスがモロッコを支配することで妥協した。 そして、第一次世界大戦前までには、リベリアとエチオピアを除く全アフリカが分割されて、ベルギー、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ポルトガル、スペインの支配するところとなった。 そのアフリカでは、第二次世界大戦後に独立の機運が高まり、1960年前後に多くの国が独立を達成した。1960年には17ヵ国が独立し、「アフリカの年」と呼ばれた。 とくにフランス領が多く、セネガル、モーリタニア、マリ、コートジボワール、ブルキナファソ、トーゴ、ダホメ(現在のペナン)、ニジェール、チャド、中央アフリカ、カメルーン、ガボン、コンゴ、マダガスカルの14ヵ国にのぼる。イギリス領がナイジェリアとソマリア、ベルギー領がコンゴ(後にザイール、現在コンゴ民主共和国)である。因みに、スーダンは1956年1月1日に独立している。 スーダンでは、北部のイスラム教徒と南部の非イスラム教徒の間で、2次にわたって(1955~1972年、1983年~2005年)内戦が繰り広げられ、1989年6月には、オマル・バシルがクーデターで政権に就いた。 一方、西部のダルフールでは、2003年にアラブ系と非アラブ系の対立が激化し、アラブ系民兵組織(RSFの源流)が黒人農耕民族らを攻撃した。2011年7月には、南部が住民投票によって「南スーダン共和国」として独立した。 2019年4月には、国防軍がバシル大統領を解任。9月には、軍と民主化勢力が共同して暫定政権を樹立した。2021年10月には軍がクーデターで権力を掌握し、民主化勢力を排除した。2022年12月には、軍と民主化勢力が民政移行で合意した。しかし、軍とRSFとの主導権争いで、1年前に内戦が勃発したのである。