「市民団体」「住民運動」を無条件に正しいとメディアは安易に考えてないか 怪しい反対運動の実態
直撃取材に震える手
その家に行くと、家の前に男性が立って、ちょうどタバコを吹かしていた。遠目にもその男性が目当ての人物だと分かった。 「産経新聞ですが」 「何の用だい?」 「P地区に土地をお持ちですよね。代替地になるはずの」と言った瞬間に男性のタバコを持つ手が震え出した。 「いけないのかい?」 「いえ、刑事罰に当たる訳ではないですけど、反対をするのであれば、代替地を取得するのを拒否すれば良かったんじゃないでしょうか。国をいわば騙したことになりませんかね」 男性は押し黙ってしまった。仕方がないので、家に行くと、男性の奥さんが「うちは夫と息子は移転に賛成しているけど、私と娘が反対なんだよ。この土地を離れるつもりはないから、代替地なんて言われたって知らないね」と言った。
東京地裁は「住民」を支持
さすがにこれは住民運動としても、不公正なのではないか、と思った。2003年10月18日に紙面化したが、他社の新聞、テレビは見事なほどの黙殺だった。 それからしばらくして、圏央道延伸反対運動の住民の記者会見があったが、取材当時、手が震えていたお年寄りの男性も元気に参加していた。 しかも10月3日、東京地裁は男性の土地が収用されることについて、「先祖十数代にわたる土地で、男性の土地への愛着は計り知れず、別の土地に移転すれば転居による生活環境の変化によって生じる損害は計り知れない」として、土地収用手続きの停止を決めた。この決定を出した裁判長は東京地裁でも有名人で、国を敗訴させるので知られた判事だった。 しかし、奥さんは「夫は移転に賛成」と言っていなかったか? と狐につままれたような気持ちになった。愛着があるのなら、なぜ代替地を入手したのだろうか。 この決定は案の定、わずか3カ月でひっくり返された。東京高裁は、収用決定は合法だと判示した。 それでようやくインターチェンジ建設は進むことになったというわけだ。 その後、あの地区には行っていない。あのとき、震える手で取材に応じてくれたお年寄りの男性も20年も経ったから存命ならば100歳だ。インターチェンジは既に完成した。交通量は増加し、1日2万台ほどがここを利用するのだという。
三枝玄太郎(さいぐさげんたろう) 1967(昭和42)年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。1991年、産経新聞社入社。警視庁、国税庁、国土交通省などを担当。2019年に退職し、フリーライターに。著書に『三度のメシより事件が好きな元新聞記者が教える 事件報道の裏側』『十九歳の無念 須藤正和さんリンチ殺人事件』など。
新潮社