「市民団体」「住民運動」を無条件に正しいとメディアは安易に考えてないか 怪しい反対運動の実態
「市民団体」が政府に抗議している。「住民」が行政に抵抗している――そう聞くと権力側に非があるような印象を持つのが人情というものだろう。しかし、必ずしもそうではないケースもあるようだ。言うまでもなく市民もいろいろ、住民もいろいろ。 元産経新聞記者、三枝玄太郎氏が、「市民運動」「住民運動」について、過去に取材した「怪しい運動」を振り返りながら「市民団体」「住民運動」イコール正義という世論を斬る。 ***
平和を祈る式典で
「新聞・テレビが報じない真実」といった表現をネット上ではよく目にする。実際にはまったく報じていないケースはあまりなくて、ある程度伝えているが、扱いが小さかったり、メディアが限定されていたりすることが多いようだ。 広島に原爆が投下された日の平和式典における「市民団体」に関するニュースもその一つだろう。亡くなった犠牲者の死を悼み、平和を祈念する式典だというのが多くの認識であるため、静かに哀悼の意を示すのが常識だと思われているが、そこに異を唱える団体も存在する。今年の状況について産経新聞は次の様に報じている。 「『慰霊の場になります。公園外に移動してください』。午前5時前、市職員が公園の利用者に呼びかけたが、原爆ドーム前では『中国侵略戦争反対』『改憲戦争阻止』などと書かれたプラカードやのぼりを掲げた数百人が腕を組み、移動を拒否。『慰霊の方々の場所を奪わないでください』と呼びかける職員に、『帰れ、帰れ』と何度も大声で叫んだ。(略) 市は昨年まで、式典会場周辺だけで入場規制や手荷物検査を実施していたが、今年は対象を公園全域に拡大。同5時に公園利用者をいったん外に出し、6時半から手荷物検査を経て園内に入れるようにする方針だった。 しかし、前日夜から座り込みを続けてきたメンバーは移動を拒み、園内に怒号が響き渡った。広島県警の機動隊員も並び、一帯は緊張感に包まれた」(8月7日付紙面) 産経新聞の記事では彼らを「活動家」と記し、中核派の活動家も関わっているとされる、としている。過去、別の新聞では「市民運動」とされていたこともある。 広島市としては、式典開催中の大規模な集会とそれに伴うシュプレヒコールなどは慰霊という主旨に沿わないと考えたのだろう。当然だ。 平和記念公園内の規制強化に猛反発する人たちが、活動家か市民運動家か、そして主張の是非について今回は論じない。読者の常識と判断に委ねたいと思う。 ここで書いてみたいのは「市民団体」「住民運動」というものへのメディアの姿勢である。市民団体の活動、住民による運動といったものは多くの場合、政府すなわち権力を相手に展開される。 そのためか、メディアは「市民団体」や「住民運動」に対して好意的、寛容である。言葉を選ばずに言えば、甘いと感じることも少なくない。広島での一件も、報じるメディアは少ない。 ただ、当然ながら市民団体やその運動にもいろいろある。本当に地道に地域や人々のために活動している団体もあれば、過激派と同一化している団体もある。私利私欲で動いている人たちもいる。