藤原道長の「この世をば…」歴史的名句が誕生した裏側。祝宴に集まった公卿たちの前で即興で披露
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は道長の有名な句『この世をば~』が詠まれた背景を紹介します。 著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 【写真】道長の邸宅では祝宴が開かれ、あの名句が生まれた。写真は道長の邸宅、土御門第跡 ■後一条天皇の摂政となった道長 1016年1月29日、晴天のなか、三条天皇は、自らの子ではない後一条天皇(一条天皇の皇子。母は藤原道長の娘・彰子)に譲位されました。 「早く譲位を」「主上の皇子の中で、皇太子になれるような器の者はおりません」などといって、何度も三条天皇に譲位を迫ってきた道長としては、外孫がついに天皇になるという念願の日がやってきたのです。
まだ8歳と年少の後一条天皇の東宮(皇太子)には、三条天皇の第1皇子(敦明親王)が立つことになりました。そして、道長は後一条天皇の摂政となるのです。 念願かなった道長ですが、それから数カ月して、体調不良に悩まされます。思えば、道長の生涯には怪我や病が多く、それらと格闘してきた人生だったとも言えるでしょう。 その頃の道長は、喉が渇き、昼夜を問わず、水を飲むという状態だったようです。発熱することもありました。しかし、食欲はあったとのこと。道長のこの症状は、糖尿病ではないかと言われています。
1016年の5月中旬には、道長の体調は幾分回復していたようです。「自らの人生に満足しているので、万が一のことがあっても、恨みはしない」と周りに語ることもあった道長ですが、はたしてそれは本心だったのでしょうか。孫(後一条天皇)の成長をもっと見たいと感じることもあったのではないでしょうか。同年12月上旬、道長は左大臣を辞任します。 翌年3月には、道長は摂政も辞任。子どもの頼通に引き継がれました。天皇の外祖父となった道長。その権威は摂政を上回るものであり、摂政に執着する意味はなかったのかもしれません。