「ソフト老害」「老害」という言葉を安易に使う人は成長の機会を放棄している
できる人は他人のせいにしない
そもそも「老害」という言葉は、ネット上で広まったといわれています。しかし、かなり昔の小説にこんなセリフがあります。 「老害よ、即刻に去れ、であります」 これは松本清張の『迷走地図』(新潮社)という小説で、政治家が演説するシーンの一節です。出版されたのが1983年で、当時も居座りへの批判や、世代交代を求める声は強かったことがうかがえます。 とはいえ特定の年代の人を批判する表現ですから、同じような感覚を持つ人たちの間の方が使いやすいでしょう。何か事が起きた時に「老害だよな」と言って、自然に共感される仲間うちの方が使いやすいはずです。 その一方で、若い人でも、そうしたことを言わない人がたくさんいることもたしかです。「老害」という言葉を発しない、「上の世代のせいにする」という発想がない人たちは確実にいます。 では、「上の世代のせいにしない人」にはどんな共通点があるのでしょうか。いろいろな社会人や学生と接してきてわかったのですが、彼らはみんな自分の仕事の質をより高めることに集中しています。勉強熱心ですから、常に「自分はまだ何か足りない」という意識が強いのです。 そういう人は、うまくいかないことを他人のせいにしません。そんなことを考えているくらいなら、自分で道を拓こうとします。 そして、向上心の強い人は自然と同じところに集まってくる。これもまた当然のことでしょう。 他方で、指導者が硬直的な組織にいると、いくら頑張っても「上が通してくれない」ようなことはあります。以前であればそのまま燻(くすぶ)ってしまうケースも多かったのでしょうが、いまは転職の選択肢も豊富になっています。 転職を選んだ人は、やはり向上心の強い人たちと合流していきます。多少リスクがあっても、硬直した組織にはいません。 その結果として、「いつまでも他人のせいにしてしまう人」もまた同じところに集まります。組織においてもそうですし、ネット上でも同じです。 そして、うまくいかないことを他人のせいにして、年上の人がネックだと感じれば「老害」と言えばそれで済みます。考えてみれば、これはこれでそれなりに居心地がいいのでしょう。