「ソフト老害」「老害」という言葉を安易に使う人は成長の機会を放棄している
「老害」はブーメランとなって返ってくる
もうずいぶん前の話ですが、テレビで売り出し中の若手芸人がこんなことを言っていました。 「いつまでも先輩がいろんなところでお元気だから、なかなか出番がまわってこないんですよ~」 たしかにテレビ番組の中には、番組タイトルに有名タレントの名前を冠しているものもあります。その番組の顔なのですから、交代も難しいのかもしれません。それは、若手にとっては「いつまでも居座って」という感覚になるのもわかります。 その話を知人にしたら、ベテランのタレントが、それとまったく逆のことを言っている記事を読んだといいます。 「いまの若手は、俺のポジションを奪いに来ようという根性がない。おかげで今でも忙しくさせてもらってる」 若手から見れば「ベテランの居座り」でも、ベテランから見れば「若手の根性なし」となる。お互いに言い分はあるのでしょうが、これは芸能界に限らず、いろいろなところで見られることだと思います。 たしかに、マンネリ化しているようなテレビ番組で、しかも発言のセンスがどうもズレてきているような人もいます。一方で、それでも続いているのは内容や視聴率などの観点から「続ける方がいい」と局側が判断しているからでしょう。 実際に、高額なギャランティーに見合わない成果であれば、大物タレントの番組が打ち切りとなることも珍しくありません。 それでも、若い人が「上が詰まっている」と感じることはどの世界でもあるでしょう。そうした中で、「老害」という言葉が当たり前のように使われるようになっています。 相当年齢の高い人たちが組織の実権を握り続けた結果、時代の波に乗り遅れてしまうようなケースは実際にあると思います。さらに、そうした人たちによって不正な運営がおこなわれて告発されるようなケースさえあります。 権力の座に居座り続けると、問題が起きてくる。これは、大昔から知られていたことでしょう。ですから、政治指導者に任期を設けるような規定を持つ国も多くあります。独裁が続く国がどのような運命をたどるかは歴史が教えてくれています。 つまり現象として「老害」といわれても仕方のないような事実はあるでしょう。 しかし、最近の「老害」という言葉の使われ方を見ていると、ちょっと引っかかることが多いのです。高齢者の気になる行動をとにかく「老害」と決めつける人は、どうも思考を停止させているように思えるのです。 そのことについて、少し考えてみましょう。