京都の町や寺に再び溢れ出した訪日外国人観光客…「観光立国」「観光亡国」岐路に立つ日本はどちらの道を進むのか アレックス・カー×清野由美
◆観光公害から広がるものとは 中でも、現代ならではの課題の筆頭が「民泊」です。有名な観光地では、民泊として運用することをあてこんでマンションや狭少な建物が相場よりも高い価格で取り引きされます。 コロナ前にも民泊バブルが起こり、その結果周辺の地価・家賃が上がり、もとからいた住民が住めなくなってしまいました。 もう一つの問題は、観光客は大きなスーツケースを持って移動します。それによって電車やバスが混み合うことに加え、彼らがガラガラと引きずるスーツケースの車輪は、駅構内の床やプラットフォーム、舗装路、そして車両を傷めます。 それらのメンテナンスは受け入れ側が担うしかなく、住民にとっては、税金などによるコストを負担させられるとともに普段の足も不便になるという、何重もの理不尽状態を生み出しています。
◆「量」でなく「価値」を増やす そのような負の側面は、観光振興の旗を振っている最中には、なかなか目が行き届きません。ただし現在ではオーバーツーリズムの事例が日本のみならず、世界中で見られています。対策を考えるベースはできているのです。日本もそこから習って、適切な解決策を取れるはずです。 民泊では宿泊客が道端で飲食をしたり、ゴミを始末しないケースもあり、そのようなトラブルをふまえて、日本では2017年にいわゆる民泊新法が発布され、民泊営業に色々と制限をかけました。 たとえば京都では、「家の持ち主に連絡が取れる」ということを義務付けしていますが、このような「管理システム」を少しずつでも取り入れれば、問題を緩和することができます。実際、京都に限らず、世界の観光都市はそうした問題の管理システムにしっかり取り組むようになっています。 私たちは「観光反対!」ということは、決していっていません。むしろ「観光立国」には大賛成ですし、今後もそのための活動を続けていくつもりです。 インバウンドは日本経済を救うパワーを持っています。国際的な潮流を日本の宿や料理に吹き込むことによって、新しいデザインやもてなしも生まれていきます。観光の促進は、日本への理解を国際的に高め、日本文化を救うチャンスであり、プラスの側面は大きいのです。 ただし、それらは適切な「マネージメント」と「コントロール」を行った上でのことだと強調したいのです。 「誰でもウェルカム」という従来の姿勢の方が、聞こえはよかったかもしれません。しかし、億単位で観光客が移動する時代には、「量」ではなく「価値」を極めることを最大限に追求することが大切であり、その視点を持つことが、これからの課題となるはずです。 ※本稿は、『観光亡国論』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
アレックス・カー,清野由美