京都の町や寺に再び溢れ出した訪日外国人観光客…「観光立国」「観光亡国」岐路に立つ日本はどちらの道を進むのか アレックス・カー×清野由美
◆京都に昔の気分で出かけると… たとえば、全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社で、山際の参道に赤い鳥居が連なる伏見稲荷大社。 その鳥居が写SNSと相性が良い、つまり"インスタ映え"することから人気で、いつ行っても鳥居の下に人がびっしりと並ぶようになっています。 美しい禅庭がある東福寺は、紅葉の季節になると、開門からすぐに、庭を一望できる通天橋の上に人が連なり、立ち止まることもできません。 伏見稲荷や東福寺に限らず、穴場的だった名所でも、今はひとたびSNSで拡散されるや、たちどころに混んでしまいます。嵐山・竹林の道は、もはや通勤ラッシュの様相で、京都を好きな人が昔の気分でうっかり出かけると、疲労困憊するはめに陥ります。 観光シーズンの京都では、駅が混みすぎて、普通に電車で移動することが難しくなりました。駅のタクシー乗り場には長い行列ができ、町中が渋滞しています。
◆「オーバーツーリズム」と「ツーリズモフォビア」 観光公害は京都だけでなく、世界中で問題になっている、きわめて今日的な社会課題でもあります。 オーバーツーリズムの先駆けであるヨーロッパでは、バルセロナ、フィレンツェ、アムステルダムといった、世界の観光をリードしてきた街を中心に、その弊害が盛んにいわれるようになり、メディアでは「ツーリズモフォビア(観光恐怖症)」という造語も登場するようになりました。 ちなみに「オーバーツーリズム」という言葉は、2012年にツイッター(現:X)のハッシュタグ「#overtourism」で認知されるようになったものですが、現在では国連世界観光機関(UNWTO)が、「ホストやゲスト、住民や旅行者が、その土地への訪問者を多すぎるように感じ、地域生活や観光体験の質が、看過できないほど悪化している状態」と、定義を決めています。 この定義では数値ではなく、住民と旅行者の「感じ方」を重視しているところが特徴です。すなわち、多くの人が「観光のために周辺の環境が悪くなった」と思う状態が、オーバーツーリズムなのです。 観光による地域活性の"優等生"であったバルセロナやフィレンツェですが、今では世界中からやってくる観光客が、京都以上に住民の生活を脅かすようになっています。 観光名所が集中するバルセロナの旧市街は、もともと高い人口密度を持つエリアでした。そこに格安航空会社や大型クルーズ船の浸透で、年間4000~5000万人という観光客が押し寄せ、交通やゴミ、地域の安全管理などの公共サービスは打撃を受けました。 やがて観光による経済振興以前に、自分たちの仕事環境、住環境、自然環境をいかに守るかが、住民にとっては最優先の課題となり、観光促進をリードした町の市民たちが「観光客は帰れ」というデモを実施。町には「観光が町を殺す」といった不穏なビラが貼られるようになりました。 観光の成功事例であったがゆえに、バルセロナはオーバーツーリズムに苦しむようになったのです。