団塊の世代・沢田研二のキャリアから学ぶ “自分を更新する生き方”とは?
「黙っとれ! 嫌なら帰れ!」
2000年代に入ると、さらに世間の価値観も、競争の中で勝つことを目指すより、それぞれの個性を大切にしながら関係性を築くことが重要になっていく。加えてインターネットをはじめとするITが普及し、情報の受け取り方も急変していった。 そんななか、沢田研二は頑なに我が道を進むスタイルを続けていく。2002年には「ジュリーレーベル」というプライベートレーベルを設立し、楽曲の内容も、ファンや大衆におもねるものではなく、自身が伝えたいことを中心に発信。ライブでは昔のヒット曲をほぼ歌わずに新曲を歌い、一時期は古くからのファンも足が遠のいたほどだった。 しかし、2008年11月29日と12月3日に行われた還暦コンサート『人間60年ジュリー祭り』(京セラドーム大阪・東京ドーム)が起爆剤となり、再びその圧倒的実力を知らしめ、ファンが戻ってくる。第4章で詳述するが、このコンサートが彼のキャリアにとって、大きな意味があったのは間違いない。 しかし、その後も彼は“安全運転”をせず、2011年の東日本大震災を機に、コンサートのMCでは芸能人にとってイメージダウンにもつながりかねない政治的な発言や、メッセージ性の強い歌詞も増えるようになる。この頃にはTwitter(現・X)をはじめとするSNSの普及により、コンサートで彼が発する、ファンや観客に対する厳しい発言も取り沙汰された。テレビ出演をしていないので、沢田研二がどんなパフォーマンスをしているかは一般ではほとんど知る機会がない。 しかし過激な発言は、SNSで拡散され、ネット記事などで伝わってくる。そのため、昔のスターで扱いづらい人、というイメージだけが先行していった。ネットを通じ、情報の一部分が切り取られ、検証もなく流れてくる時代と沢田研二は決して相性が良いとはいえなかった。 たとえば、2015年1月20日に開催された『2015 沢田研二 正月LIVE』(東京国際フォーラム)では、こんな出来事があった。約2時間近く歌い続けた後、彼はラストのMCで、最近の世界情勢について語った。すると客席から 「歌ってー!」 という声が上がり、これに対して彼は 「黙っとれ! 誰かの意見を聞きたいんじゃない。嫌なら帰れ!」 と一喝。これもネットで拡散され、それがテレビで取り上げられ話題になった。