【プレイバック’04】東北高校主将・ダルビッシュ有が春のセンバツ直前に悩んでいた〝7股疑惑〟
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は20年前の’04年4月2日号掲載の「ダルビッシュ有が裸で語った『甲子園&悩み』」をお届けする。 【何が写ってるの?】すごい……デジカメのディスプレイを覗くダルビッシュの満面笑顔 ’04年、春の甲子園でもっとも注目されていたのは前年の夏の準優勝投手であり、秋のドラフト候補ナンバー1の呼び声も高かった宮城・東北高校のダルビッシュ有(当時17)だった。大阪行き直前の、そんな彼に密着取材した記事だ。 ◆背筋力、握力は高校入学時からほぼ倍増 《「調子ですか? 去年の夏を100だとすると今は150ですかね。甲子園で優勝!というのではなく、ひとつひとつ勝っていけたらと思っています」 このセリフは3月13日に大阪入りする直前のもの。球速149㎞をマークした昨夏に比べて1.5倍の調子だというのだ。 「(2戦目で敗退した)去年の春が80ぐらいですかね。開会式で脇腹と右腕を痛めましたんで。そして夏も腰を痛めていましたから、調子はイマイチでした」》 前年の春のセンバツの開会式では、ダルビッシュはファンから腕を引っ張られて脇腹と腕を痛めてしまっていた。そのことについては、もう気にしていないと語っていた。 《もう過ぎたことですからね。自分も不注意だったと思うし。でも甲子園だから、という気負いはないんです。何㎞の球を投げようという目標もありません。三振を取るよりも、打たせて取るほうが自分には合っている。そのほうがチームのリズムが合うと思うんです》 高校に入った頃には成長痛に悩まされたが、身長も194㎝でやっと伸びが止まり、大人っぽい筋肉がつき始めた。高校入学時は背筋力120kg、握力が左右38kgだったが、背筋力240kg、握力も左右57kgに倍増。だが、それ以上に精神力が成長したのだと東北高校の若尾正廣監督は語っていた。 《夏の甲子園が終わって有をチームキャプテンに任命したことによって、『オレがオレが』という性格が他人に目を配れるようになりました。自分に余裕が生まれ、他人への思いやりの気持ちが出てきたと思いますよ》 全国的に注目をあつめていたダルビッシュだが、ふだんはフツーの高校生らしい素顔も覗かせた。寮生活での一番の楽しみは約200m離れたコンビニへの買い出しだといい、 《フライデーとか立ち読みするんですよ。 あの袋とじはなんとかなりませんか?どうしても欲しい場合は、部員同士でおカネを出し合って買うんです(笑)》 などと語っていた。さらに夕食を覗かせてもらうと、チームメイトと関西弁で盛り上がっていた。野球部での一番人気のタレントは上戸彩だという話に、ダルビッシュが「エーッ」と不満そうな声をあげると「オバサン好みやからな」とイジられるなど、和気藹々としたムードだった。 食事後、ダルビッシュが突然本誌に「お願いがあるんです。ぜひとも書いてくれませんか?」と真顔で聞いてきたので話を聞くと、こんな内容だった。 《実はオレが〝ナナマタ〟かけてるという話があって……。オレは見たことはないんですけど、インターネットの掲示板にオレが7人の女のコと同時に付き合っていて、それで『7股だ』と言われているらしいんです。(仙台市の)国分町でオレが歩いているのを見た、別の日は違う女のコだった、なんてね。これはまったくウソですから。国分町って行ったこともないんですから。参ってしまいますよ(笑)》 この年の春のセンバツでダルビッシュは熊本工を相手に大会史上12度目となるノーヒットノーランを達成する。だが、右肩を痛めて準々決勝では登板できずにベスト8で敗退。夏の大会も3回戦敗退となったため、東北へ優勝旗を持ち帰ることはなかった。それでもやはり秋のドラフトでは「松坂大輔以来の怪物」と評され、日ハム入り。その後の活躍は説明するまでもないだろう。 ’12年からはメジャーリーグで活躍し、昨年のWBCでは侍ジャパンの中心選手として日本を優勝に導いたことは記憶に新しい。3月20日にソウルで行われた米大リーグパドレス対ドジャースの開幕戦での大谷翔平との対決は日本中が注目した。そんなダルビッシュは高校3年生のときからすでにこの記事のような〝大物感〟を漂わせていたのだ。
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