【佐藤優氏×片山杜秀氏「昭和100年史」知の巨人対談】「新しい戦前」と言われる現在を「新しい戦中」にしてはいけない
2025年、昭和100年の節目を迎える。平成、令和ではなく、「昭和100年」と位置づけ、昭和初期の「戦前」を照らし直すことで、「新しい戦前」と言われる現代への教訓が浮かび上がる。“知の巨人”の2人、政治思想史研究者の片山杜秀・慶應義塾大学法学部教授と作家の佐藤優氏が語りあう。【前後編の前編】 【写真】関東軍が引き起こした昭和6年の満州事変。翌年に満州国を建国する
新しい戦前に備え、過去の戦前を学ぶ
佐藤:来たる令和7年は昭和100年に当たります。「新しい戦前」と言われる現在を「新しい戦中」にしてはいけない。昭和100年という括りの意義を、ひとまずは「新しい戦中」を回避するあたりに見てはどうか。 昭和日本がアメリカとの全面戦争に突き進んだ背景を考えると、第一次世界大戦のインパクトを抜きには語れない。第一次大戦でヨーロッパは、敗戦国のドイツだけでなく、戦勝国のフランスやイギリスさえ疲弊した一方、日本とアメリカは勝利し、国力も増大させた。 片山:大英帝国の国力の後退がはっきりしてくる中、本国が戦場にならなかったアメリカは、ヨーロッパの復興需要で繁栄を謳歌していきます。同様に日本も資本を蓄積し、豊かな国へ離陸するはずが、もっと儲かると思って過剰設備投資に走り、戦後不況を招きます。さらに関東大震災が起き、震災不況も重なる。昭和4年の世界大恐慌の前に、日本はすでに大不況に陥っていたわけです。 その解決の路線として、ひとつは現代風に言うグローバリズム、国際協調の貿易中心でいく考え方があった。対して、中国大陸での覇権を求める路線が影響力を増してくる。昭和3年の張作霖爆殺事件、ひいては日中戦争へとつながります。 佐藤:海洋国家的な貿易のネットワークを築く考え方と、領土を拡大する大陸国家型の論理が混在し、整理されないまま両方を追求してしまった。 片山:この頃、日本では日米開戦を想定した架空戦記ものがよく読まれていた。アメリカを仮想敵国とする意識が強まる一方、当時の日本は石油とくず鉄をアメリカに依存していた。近代戦争に最も重要な資源を依存する国を相手に戦えっこない。 佐藤:日本は樺太で石油が採れることに早くから気づいていた。日本が権益を持っていた北樺太のオハから石油を確保できたはずだが、なぜ十二分に開発せず大陸へ進出してしまったのか。 昭和6年には関東軍が満州事変を起こし、翌年に満州国を建国する。ここでも、石油の埋蔵量と採掘に関する計算が甘かった。