中江有里さん、阪神・原口選手の残留を喜びつつ「厳しい進路を選んだということ」
読書好きで知られる俳優の中江有里さんが、日々のできごとや過去の思い出を、1冊の本とともにふり返る連載エッセイ。プロ野球はストーブリーグ真っ最中。選手たちの去就に目を光らせる中江さんは、一押し選手の残留に安堵しつつ、待機時間の長い役割のつらさを俳優の仕事と、萩尾望都さんの名作漫画『11人いる!』(小学館)のセリフに重ね、さらなる飛躍への願いを託しました。 【写真】「YURI」ロゴ入りレプリカで両手を突き上げる中江有里さん
プロ野球シーズンが終わり、阪神球団公式やテレビ局などのYouTubeを漁って何とか野球ロスをしのいでいる。 長い夜には、理想のスタメンを考えたりする。一番は近本選手でいこう。二番は前川選手でどう? あの選手もこの選手もスタメン候補……しかしこっちを起用したらあっちはハマらないし。我ながら勝手で、ぜいたくな悩みである。 ふりかえればこの2年、阪神タイガースのスタメンは概ね固定されていた。逆にいえばそれ以外の選手はチャンスが少なかったとも言える。ベンチをあたためながらも、なかなか出番がなかった一人に、原口文仁選手がいる。 2023年度、原口選手の出場は54試合。すべて代打だった。 2024年度、一塁手の大山悠輔選手が不調の時にスタメン出場したが、多くは代打。 関西では必死で頑張ることを「必死のパッチ」と言う(例。あの子、必死のパッチで走ってる。パッチの語源はわからない)。これ以上ないほど頑張っている人に対して使う言葉。 それをなぞらえた原口選手は「必死のグッチ」 大腸がんを克服し、いまなお野球を続けている「必死のパッチ」のグッチ。 ♪ ここに立つために 鍛えぬいた日々よ 原口のすべて 魅せろ奮わせろー 原口選手のヒッティングマーチを歌う度、グッとくるのはそんな背景もある。 その原口選手はスタメンとしての出場機会を求めて、今季終了後に国内FA宣言をした。 ずっと阪神にいてほしい。でも原口選手の気持ちもわかる。 なぜなら俳優の世界も同じようなものだから。 映画やドラマにおいて、一つの役柄はひとりで演じきる。 つまり、俳優には代打も代走もない。 スタメン(レギュラー)が最後まで出て、完結する。 光り輝く舞台に、自分以外の誰かが立っている。 自分だって……同じ力を持っているはず。 だけどチャンスは与えられない。チャンスがなければ、力を発揮できない。 打席を与えてもらえなければ、打てるわけがない。 ただ待つしかないのだ、スタメンになれるその日を。ならばチャンスがある場所を求めたくなるのも、自然なこと。 萩尾望都『11人いる!』は著者のSF代表作。大人になってから読んだ漫画で、今もよく詠み返す。 宇宙大学の受験会場となる宇宙船が舞台。最終テストは外部との接触を断たれたままの宇宙船内で53日間、10人のメンバーで生き延びること。しかし船にはなぜか11人いた! 試験を合格するためには、正体のわからない1人を含めて53日間を生き延びなければならない。互いに疑心暗鬼になりながらも、11人は次々に降りかかるトラブルに挑んでいく。 途中にはさまざまな伏線が張られており、あとから考えれば「あれもこれも……」とわかるが、読んでいるときは気づかない。 ミステリーには伏線がある。人生だって伏線だらけだ。伏線だとわかるのは、時間が経ってこれまでを振り返る時。 作中で登場人物の一人が語る言葉が、すべてを物語っている。 「宇宙はつねに変化にみちている。概念が通用しない場合もある。事態は急変する。的確です早い判断力が必要だ。常に異端の十一人目が存在するようなものだ」 俳優はよく「待つのも仕事」と言われる。 カメラの前にいるより、映らない場所で待つ時間の方が長いから。それも一理あるけど、いざ出番が来た時に、準備万端で「待機」しているという意味。そう、「待つのが仕事」だ。 どれほど準備しても、出番がなければ発揮できないけど、いつ想定外の事態が起きて出番が回ってくるか分からない。そのために「待機」する。 野球の試合も、つねに変化に満ちている。事前の想定が通用しない場合もある。試合展開は急変する。的確で素早い判断力が必要だ。そのために「待機」する選手が存在する。 選手が「待機」してきた時間は誰も知らない。 スタメンのように何打席も回ってこない宿命に正面から挑む。それが代打。 期待とプレッシャーが荒波のように襲い掛かる打席に原口選手は立ち続けた。 すでに報道されたが、原口選手は阪神に残留してくれた! しかしスタメンでの出場を望む原口選手にとって(FA宣言していた一塁手の大山選手も残留したため)厳しい進路を選んだということだ。 必死のグッチは、きっとこれまでも、これからも伏線をいっぱい張っていく。 なにしろ岡田タイガース第1号ホームランを打ったのも、岡田タイガース最後の試合でホームランを打ったのも原口選手だ。 いつか「待機」という伏線を回収する日が来る! その時は思う存分魅せて、奮わせてください!
朝日新聞社(好書好日)