【103万円の壁問題で考える】家族という便利な“形態”に隠された「個人としての妻」の軽さ
これまで「なんですのん、これ」と思っていた、最高裁判所裁判官の国民審査。 <日本一わかりやすい憲法の授業(1)>憲法が縛るのは「国を動かす権力者」。『檻の中のライオン』著者・楾大樹さんが語る「憲法とは?」
衆議院選挙のたびに、ダメって思う人にバツつけてねー! と渡された用紙をそのまま投票箱に入れてきた私ですが、今回は盛大に「バツ」をつけてみました。みなさん、人生で「バツ」つけられたことなんてきっとない、すっごく頭のいい人ばっかりだと思うんですけど、このところ「え? なんで?」と思う判決が多すぎるし、それもこれも「出世するなら、国民目線より権力におもねる判決だろ!」と思わせちゃってることがよくない。君らを見張ってる人間もいますからね、と少しでも主張しとかないといけないし、何よりそういう状況に何もしない自分が気持ち悪い! 今回の選挙ではそういう人が結構多かったらしいのですが、その件をX(旧Twitter)で伝えていたあるポストに、別のところでちょっと驚かされました。 それは不信任投票をする人だけが「投票記載台に行く(つまり誰かに「バツ」をつけたことが、周囲の人にバレる)から、ハードルが高いことなのに」というコメントです。 ええええ、マジっすか。そんなことぜんぜん考えもしなかった。投票する場所に裁判官本人がいるわけでもなし、まさか「投票用紙でーす」と渡してくれる人に「あの人は誰かに『バツ』をつけた!」と思われるのが嫌? まぁでも小さな自治体だと知り合いだったりすることもあるから、「誰に『バツ』つけたの?」って聞かれてウザいとか、「渥美さんはあの人に『バツ』つけたらしい」と噂されるとか? ためらう理由は想像の範囲を超えませんが、最高裁裁判官の国民審査からしてそんな具合なら、選挙の組織票における「あの人に投票してね圧力」を裏切れない人がいるのは、ははーん、こういうことかと理解しました。そんなことでは自分の人生を生きられませんよ、口では「投票したよ」とテキトーに言いながら好きな人に投票しちゃえばいいんですよと思うんだけど、そこがなぜか飛び越えられないから、ハードルとか壁って言うんでしょうな。 選挙からこっち、ちまたでは「103万円の壁」とか「106万円の壁」とか、何かと壁が話題です。前回から読んでいる上野千鶴子さんの著書『こんな世の中に誰がした?~ごめんなさいと言わなくてもすむ社会を手渡すために~』にも、その説明がありました。 複雑さの理由は、収入当事者が支払うことになる所得税と社会保険料、さらにその配偶者に適用される控除という、3つの制度にまたがる話だから。 収入が増える→所得税支払い義務→社会保険料支払い義務→配偶者控除適用外(配偶者の税額UP)ということが段階的に起こってきて、収入は増えたけど配偶者の税額で相殺、もしくは家計全体としてDOWNみたいなことが起こってくるわけです。 この制度は一般に「専業主婦優遇」とも言われていて、最近では専業主夫も増えつつありますが、一般的に多くは既婚女性に適用されるものです。制度設計により彼女たちが一定収入以上にならないよう「働き控え」することは、実は既婚女性を低賃金の非正規労働に誘導するものであり、家庭に閉じ込めるものでもある―― と、上野さんは言います。 私がすごく興味深く読んだのは、上野さんが、この制度で「まずトクをするのは、それまで妻の年金保険料を自分の懐から払ってきた夫です。彼らはその支払を逃れました」と書いているところ。 よく考えたら私の周囲の共働き夫婦や、共働き姉妹ぐらしの我が家も、家計は一定額を出しながら共有しても、それ以外は独立採算で、まさに上野さんの感覚に近いもの。つまり、家計は一緒にする夫と妻を、それぞれにきっちりと「個人」であると考えているわけです。 実はこの上野さんの文章を読んだ時、私は「夫婦であれば、『夫の収入=家族の収入』だし、夫が支払わないですむなら、それは妻のトクでもあるのでは」とつい思っちゃったんですね。「個人としての妻」はそこにはまったくもって存在しません。でももし夫婦関係が破綻した時、夫は家族なしの個人として生活が成り立ちますが、「家族のために個人で生きることを諦めた妻」の個人の生活はぜんぜん成り立たないわけです。 本来であれば、人間は皆個人として尊重されるべき存在ですが、日本では特に女性や子供の意思や自己決定は軽く扱われがちです。「家族」「家庭」は、それを公の手を煩わせることなく「美しい風に丸く収める」ための、体の良い受け皿として機能してきたようにも思います。虐待も、貧困も、介護も。だからこそ、公は「家族」という形にものすごーくこだわるのかもしれません。 とはいうものの。普段はあらゆる「壁」をものともしない、「あの人に投票しました」って言いながら別の人に投票しちゃえばいいじゃん! な私ですら、 上野さんの言葉には『笑ゥせぇるすまん』の喪黒福造にドーン! ってやられたような気分になりました。 本当の壁は「103万円」とか「106万円」とかじゃなく、「私は家族の一員である前に、自己決定権を持つ個人だ」となかなか思えない、根深い刷り込みにあるのかもしれません。 写真/Shutterstock
渥美 志保