福永祐一「調教師への転身」延期して良かった理由 自分に言い訳し、今いる場所から逃げようとしていた
誰もが「天才ジョッキー」と評する父・福永洋一が果たせなかった日本ダービー制覇、無敗のクラシック三冠。まさに全盛期のトップジョッキーが突如、調教師に転身――。その大きな原動力になったものとは? 福永祐一さんの著書『俯瞰する力 自分と向き合い進化し続けた27年間の記録』より一部抜粋、再構成してお届けします。 ■そろそろ調教師を目指して…現実からの逃避 北橋厩舎、瀬戸口厩舎の解散と岩田康誠くんの中央移籍が重なり、自分の限界を感じ始めていた2007年、エイシンドーバーに騎乗した京王杯スプリングカップで、その年初めて重賞を勝つことができた。勝利ジョッキーインタビューで思わず出た言葉が、
「これでもう少しジョッキーを続けられそうです」 周囲はこの発言に驚いたそうで、翌日のスポーツ紙でもかなり大きく取り上げられたが、自分としては冗談でも何でもない、本心だった。 思えば、精神的に最も追い込まれていて、ジョッキーを辞めることも本気で考えていた時期。だからこそ、この勝利に救われた気がしたのだ。 とはいえ、この1勝で一気に霧が晴れたわけではない。ジョッキーとして自分にはもう伸びしろはないと思っていたし、このまま頑張ったところでどうせ一番にはなれないのだから、調教師を目指すという道もそろそろ考えなければ……。そんなことを考えながら、しばらくは悶々とした日々を過ごしていた。
でも、今ならはっきりとわかる。これは明らかに自分への言い訳であり、調教師への転身にしても、つらい現実からの逃避である。傷つきたくないから、傷つく前に自分を守る。こうした一面は子供の頃からあって、それは今でも少なからず残っている。 それにしても、あのとき調教師を目指さなくて本当によかった。 結果論だが、あの状況で「ジョッキーがダメなら調教師に……」なんていう考えで仮に転身できたとしても、うまくいくはずがないのだ。なぜなら、何の行動も起こさず、頭の中だけで自分を追い込んで、自分で自分に言い訳し、今いる場所から逃げようと思っていただけなのだから。