【2024年、GPZ900Rは誕生40周年!】1985年 鈴鹿8耐を走ったNinjaを語る
ほぼ量産状態で挑んだ85年の鈴鹿8耐
小川:まずは、当時のカワサキのレース環境について教えてください。 齋藤:カワサキレーシングチームがレースから撤退するという話を聞いたのは83年の初め。「え、ライムグリーンが世界から消えてしまうの?」と思いました。ショックでしたね。 ただ、販売会社(今のカワサキモータースジャパン)が「ロードレースがないのはまずい」となり、川崎重工業に掛け合ったんです。そして、チーム38がチームグリーンに統合される形で復活。それが85年です。鈴鹿8耐の前にもチームグリーンとして様々なレースに出ています。 石田:85年の鈴鹿8耐は、他社はファクトリーマシン参戦しています。その中で10位は立派ですよね。 多田:トップとバトルをしようというのは端からなかった。自分たちのペースで走ればリタイヤするチームが出る。でもウイリーしてたら監督に怒られました。「オイルラインにエアが入って焼き付いたらどうなるんだ」ってね。でも、お客さんが飽きないようにライダー交代の5周前からはシケインとヘアピンでウイリーしてました(笑)。 齋藤:第一スティントから15位、16位を走っていました。ライダーは身長180cmと160cmちょっと。ポジションも合わせていません。 大前:量産の万人向けポジションで走ったんです。アップハンドルにしてね。レーサーじゃないんです。だから身長差があっても乗れたんです。 多田:いやいや、そうでもない。やっぱり長いし、大きかった(笑)。 石田:後にそれがニンジャカスタムのトレンドになっていく。バーハンドルのブームを作ったのだと思います。 齋藤:カワサキは伝統的にアップハンドル。エディの時代からそう。Z1000Jはしんどかったはずだけど、気合いと根性で乗る。清原明彦先輩もアップハンドルのH2で一世風靡した。
重たすぎて鈴鹿の車検場では重量を計測できなかった……
齋藤:最高速や馬力は900と同じくらい。エンジンもチューニングせず、エキパイは重たいノーマルで、マフラーはサイレンサーを変えただけです。 大前:ニンジャのダイヤモンドフレームというのはそもそもレースに出るようなレベルのマシンではない。サイドにアルミパイプをつけたけれど、デザイン的なイメージの方が大きかった。 多田:今、街で信号待ちしているニンジャの方が軽量化してある(笑)。 齋藤:車検場で重量を計測できなかったからね。鈴鹿は200kgまでしか測れないんですよ。計測しようとしたら針が振り切って「測れないから不合格だな」って冗談で言われました。 多田:市販車のGSX-Rが乾燥で180kgくらい。各社のファクトリーマシンは160kgくらい。GPZ750Rの乗り味はね、もうリムジン。フワフワ。目線も高いし、景色も見れる。だから8時間も大変ではなかった。 齋藤:唯一のトラブルはガス欠。スプーンに入ったらエンジンがストール仕掛けて「燃欠やん」って。130Rに入る手前から押して帰ってきました。 多田:名前の知っているライダーがたくさんいるのも楽しかった。ファクトリー勢は、予選からタイムを落として決勝を走っていたけど、チームグリーンは予選タイムと同じくらいで走行。だからそれほど離されなかった。 齋藤:ケニーが抜いてくれるのが、嬉しかった。ワインは勢いがあった。 多田:森脇さんがフレームをトライしていた時代。僕も80年の終わりにアルミフレームをテスト。翌年、それに乗る予定だったけど、背骨を折ってしまい、森脇さんは急遽オーストラリアでワインを探してきた。僕の背骨が折れてなかったらワインはモリワキに乗ってなかったかも(笑)。
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