【2024年、GPZ900Rは誕生40周年!】1985年 鈴鹿8耐を走ったNinjaを語る
1985年の鈴鹿8耐は、ラスト32分でトップのケニー&平を悲劇が襲い、RVF750が1-2フィニッシュ。そんなファクトリー勢が大挙する中、ニンジャは10位でゴールしたのだ。 【画像】対談の様子や当時のマシンなどをギャラリーで見る(12枚) 文:小川勤 写真:石村英治(PHOTOSPASE RS) 取材協力:ケイファクトリー
WGPライダーが大挙した1985年の鈴鹿8耐
1985年、鈴鹿8耐の観客動員数は15万6000人(2023年は4万2000人)。レース展開もドラマチックで、その伝説は今も多くのライダーに語り継がれている。 市販車においても世界は空前のバイクブーム。WGPは熱狂的に盛り上がり、バイクは凄まじい勢いでハイスペック化。鈴鹿8耐は1000ccから750ccになった2年目のシーズンで、TT-F1レギュレーションで開催され、ベースモデルの性能が大きく左右された。ホンダ、ヤマハ、スズキはファクトリーマシンを導入し、世界GPライダーも大挙して参戦していた。 優勝はワイン・ガードナー&徳野政樹(ホンダ/RVF750)、2位はマイク・ボールドウィン&ドミニク・サロン(ホンダ/RVF750)、3位はケビン・シュワンツ&グレーム・クロスビー(スズキ/GSX-R750)。レースはケニー・ロバーツ&平忠彦(ヤマハ/FZR750)がコントロールするが、ラスト32分でマシンに異変が起き、ホームストレートでマシンを止めてしまったのだった。
カワサキはファクトリーでのレース活動を1983年に中止
そんなファクトリーマシンがひしめくなか、カワサキのチームグリーンは市販車であるGPZ750Rで参戦。2台体制で挑み、ゼッケン38の岡正弘/日下直一が16位で、ゼッケン39の齋藤昇司/多田喜代一が10位でチェッカーを受けた。実はチームグリーンにとってはこれが初めての鈴鹿8耐。この時代のカワサキのレース環境は少し複雑だった。 カワサキは1978~1981年まで世界GP250ccクラスを連覇し、その後は世界耐久選手権などでも活躍していたのだが、1983年にファクトリーでのレース活動を中止した。 しかし、「二輪メーカーがレースを忘れてはいけない。ライムグリーンを走らせないといけない」という思いを持つ人々の力で1983年にチームグリーンが誕生。1985年にチームグリーンとチーム38は統合し、レースを走ることになったのである。 チーム38とは、1975年に作られたカワサキの社内チーム。モトクロスチームとしてスタートしながら活動の場をロードに広げていくが、カワサキから資金的な援助を受けているわけではなく、社内にあるプライベートチームという位置づけだった。38の由来は、当時テストライダーと実験研究部が第38工場にあったからである。 今回、トークに参加してくれた齋藤昇司さんは、チーム38の創設メンバー。当時は、チーム38とチームグリーンが統合されるという話を渋々受け入れたというが、チーム38は現在も社内チームとして活動。昨年、齋藤さんはカワサキOBとしてチーム38のメンバーと『もて耐』を楽しんだ。
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