ADHDの診断を受けた小説家が、自身の内面"探検を綴った"エッセイを刊行
――本書では、診断結果について周囲の人に話す際、「そうは見えない」「自分も片づけられないから大丈夫」などの言葉をかけられるシーンがありました。これらは柴崎さんにとってあまりポジティブなものではなかったのかなと感じましたが、こういった状況ではどんな向き合い方をすべきなのでしょうか? 柴崎 診断結果について人に伝えるのは難しかったですね。それに対するリアクションも、相手が良かれと思って言ってくれているのはわかるから、逆に苦しさを感じることもあります。正解や間違いということではなく、わからないことはわからないままで、まずはその人の言葉を受け止めてもらえればいいのかなと。 ――先ほども指摘されていましたが、ADHDは"困った"特性が多いとされ、ネガティブな印象を持たれがちです。一方で、本書では小説家は「ADHDの適性を生かせる職業」と書かれていますね。 柴崎 小説家にもいろんなタイプがあり、「ADHDだから小説家に向いている」とはいえませんが、少なくとも自分の特性は自分の作風に影響していると感じますね。 自分は興味があちこちに飛ぶ特性があるので、それを生かすこともあります。例えば、電車に乗り間違えたとしても「思わぬ発見がある!」と偶然を楽しんで、執筆の材料にできたりもします。この本では「ADHD力」とも書いていますね。 あと、興味のあることについては自発的に進められる特性もあるので、この本を書き進められたのもその影響ですね。 これらは特性の良い側面かもしれません。 ――「診断を受けることは、自分の地図を作ること」というとらえ方が印象的でした。読書習慣をつけるためにあえて家で"立ち読み"をしたりする試行錯誤の連続が、「地図」に書き込まれたメモのように感じました。現在、地図の充実具合はいかがでしょうか? 柴崎 まだまだ余白はありますが、少しずつ自分のことがわかるようになってきています。この本を出してからも同じような特性を持つ人の話を聞ける機会が増えたので、それにつれて自分の特性もよりはっきりするようになりました。 自分の「地図」作りについては、なるべく楽しみながらやるのが本当に大事ですね。義務感を意識しすぎるとつらくなってしまうので。 ――発売後すぐに重版が決まるなど、本書はかなり反響を呼んでいますね。印象的な読者の反応などはありましたか? 柴崎 もともと自分の著作を読んでくださっていた方以外にも広く届いている感覚はあり、発達障害への関心の高まりを感じています。その理由は、「普通」の枠が狭くなっていることなのかなと思っています。 そして、その狭い「普通」であることが求められ続ける中で、そこからこぼれ落ちたときに助けを求めることが難しくなっているんじゃないかとも。 例えば、会社などで「わからないことがあったらなんでも聞いてね」と言われたから質問したのに、「こんなこともわからないの」的な対応をされると、聞きづらくなりますよね。