ドーピングをしてはいけない4つの理由 根底にあるべきはフェアプレーの精神【ドーピング問題を考える/バズーカ岡田】
ボディビル・フィットネス界にはびこるドーピング問題について考えていくこの連載。今回からは、骨格筋評論家として「バズーカ岡田」の異名で多くメディアに出演、自身のYouTubeチャンネルなどを通して日々、情報を発信し続ける岡田隆氏に話を聞いていく。 バズーカ岡田が「真のナチュラルボディビル世界決戦」で優勝。アメリカの地で栄冠を手にする
ドーピングによりスポーツとしてのボディビルの価値が歪曲される
――非常に一般的な質問になりますが、なぜドーピングはやってはいけないことなのか。お考えを聞かせてください。 「実は非常に難しい問題なのですが、最初に言うと、『やってはいけないこと』とは言い切れないんです。私はボディビルという競技をやっており、出場する団体のルールとしてドーピングは禁止行為になるので、その立場においてやってはいけないのは当然のことです。ですが、ドーピング検査がない(禁止されていないと解釈する者もいる)団体に出場する選手、あるいはそもそも大会に出場しない方にとっては、それは当てはまりませんよね」 ――その通りだと思います。 「ただ、それだとこの取材は終わってしまうと思うので、少し別の角度からお話しします。日本体育大学でスポーツ哲学を研究されている関根正美先生が講義で話されていたことなのですが、スポーツには『インフォーマル・フェアプレー』という考え方があります。これは、『ルールブックには記されていないけれど、人間がフェアプレーを守って行動することで、スポーツが円滑に行なわれることがある』ということです。例えばサッカーで、痛みで倒れている選手がいたら、ボールを外に出してプレーを止めることがあります。再開するときは本来相手チームのボールですが、当たり前のようにボールを出したチームに返しますよね」 ――そうすべきとはどこにも書いていないですが、そうするのが一般的になっていると思います。 「もう一つ逆の例を挙げると、元プロ野球選手の松井秀喜さんが高校時代に、相手の高校の監督が彼の打撃力を警戒したため、5打席連続で敬遠策をとられたことがありました。ルール上は何も問題ないことですが、大きな波紋が広がりましたよね。この二つの例から言えることは、ルールブックに書かれてあることだけではうまくいかないし、書かれていないことを含めたフェアプレーがないと、スポーツの価値が歪曲されてしまうということ。実はドーピング問題も、これと通じる部分があるのではないかと考えています」 ――ボディビルはスポーツであるため、フェアプレーという視点で、ドーピング問題を考える必要があると。 「ドーピング検査がある(=ドーピングが禁止されている)団体ではそれを守るのは言うまでもなく当たり前のこと。フェアプレーや規範意識という観点から考えると、ドーピングはするべきではないと私は思います。もっとも、『フェアプレーなんてどうでもいい、とにかく勝てばいいんだ』という人には、当てはまらない議論ではあるのも事実です」 ――松井選手の件があった際にも、「勝利至上主義」の議論が巻き起こりましたが、まさに同じことですね。 「そうです。先の関根先生がご専門とされるスポーツ哲学の観点から『ドーピングはすべきでない』と考える理由としては、『不正』『スポーツの価値の歪曲化』『非自然性』『有害性』の4点です。『不正』については、ある一定数のドーピングをする選手が不正に有利になる、つまりズルをしてしまうと、競技として不公平であるということです。『スポーツの価値の歪曲化』については、先ほど話した通り。 『非自然性』については、そもそもドーピングで使用される薬というのは、競技力向上ではなく本来は医療目的で使用されるものですから、そういう薬を使用することで人間が自然に到達できる範囲を超えていくのは、本当に正しいことなのかということ。最後の『有害性』に関しては言うまでもないですね。薬には必ず副作用があるので、使用することによって体が害されていきます。『俺は大丈夫』と思っている人でも、気付かぬレベルで心身が蝕まれ、後に大きな問題に発展します。人体に悪影響を人為的に及ぼしながらスポーツをするのは、あってはならないと思います」 (続く)