奥野瑛太、大学在学中に撮影した『SR サイタマノラッパー』が大ヒット。出演と思わず出向くと…メインの役に大抜擢「最初は違う役だった」
日本大学芸術学部映画学科在学中に出演した映画『SR サイタマノラッパー』(入江悠監督)が第19回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター・コンペティション部門でグランプリを獲得して注目を集めた奥野瑛太さん。 【写真を見る】山城達郎監督の映画『心平、』で主演を務める奥野瑛太さん 2009年、シリーズ3作目『SR サイタマノラッパー ロードサイドの逃亡者』(入江悠監督)で映画初主演を果たし、映画『友罪』(瀬々敬久監督)、映画『グッバイ・クルエル・ワールド』(大森立嗣監督)、連続テレビ小説『エール』(NHK)、『最愛』(TBS系)などに出演。2024年は、映画『バジーノイズ』(風間太樹監督)、映画『碁盤斬り』(白石和彌監督)、映画『湖の女たち』(大森立嗣監督)が公開。 2024年8月17日(土)より主演映画『心平、』(山城達郎監督)が新宿K’s cinemaほか全国で順次公開される奥野瑛太さんにインタビュー。
中学時代はアイスホッケーの世界大会に
北海道苫小牧市で生まれ育った奥野さんは、小学校入学時からアイスホッケーを始め、中学生のときには国際大会にも出場したという。 「北海道の苫小牧というところが地元なんですけど、アイスホッケーの街として有名でして、当時は“苫小牧なら野球部よりもサッカー部よりもアイスホッケー部!”という風潮を子どもながらに感じていまして。路上やリンクでスケート滑ってスティックでパックをつつくのが当たり前の風景でした。それで僕も小学校に上がるときに始めました」 ――かなり優秀な選手だったそうですね。 「優秀というか、たまたま中学生のときに国際大会の苫小牧市の選抜選手のひとりになっちゃって。アイスホッケーで高校に入学する手段もあったんでしょうけど、何を間違ったか60キロも離れた街の進学校に行っちゃって…そうしたらアイスホッケー部がなかったんですよ。それでアイスホッケーを辞めました」 ――もったいないですね。高校では何を? 「ハンドボールを少しと第86代応援団団長をやっていました。学帽被って学ランとか長ランとか、羽織袴に下駄を履いて登校するんですよ。進学校だからなのか、細かい伝統が数多く残っていて(笑)。平成の世で本気のバンカラやっていました。 竹刀を持って全校生徒を体育館やグランドに並ばせ、基本姿勢(両踵をつけつま先を45度に開き、背中の高い位置で手のひらが外側に見えるように組ませ直立不動)をとらせ歌唱指導したり、行事ごとに応援団が十畳旗と和太鼓を持ち込み80年以上続く伝統的な裏演舞を披露するというのがある高校で。 僕が1年生のとき、応援団から歌唱指導受けていて、かなり生意気だったんでしょうね。しこたましごかれて、そうしたら仲良くなっちゃって、後々第86代の団長になって…という感じでした」 ――その当時は将来何になりたいと思っていたのですか。 「高校時代にはとくになかったですね。北海道の工業街で育って、映画の世界も遠いし、演劇の世界も遠いところで育ったので、『映画って人間の手で作っているの?』というぐらいの距離感でした。 それで、北海道から上京することを、『本州に行く』って言うんですけど、“二度と戻れない海を渡る”という感覚があって。まぁ、映画が好きだったので、何かしら映画に関われるかなということで日本大学の芸術学部映画学科に行くことにしました」