死刑執行後も冤罪議論が続く飯塚事件。破格のドキュメンタリー『正義の行方』監督が語った「疑問」
ドキュメンタリーは「人間を描くこと」
─本作では弁護団の主張が展開されたあとに、警察に科警研の証拠捏造疑惑を問うたり、取調捜査官による目撃証言の誘導や見込み捜査の疑惑についても突きつけています。取材の過程で得た情報を反映させながら疑問を投げかけているのか、ときに警察、弁護士、記者がそれぞれ応答して見えるように構成されています。どういったふうにインタビューを進められたのでしょうか。 木寺:取材回数がいちばん多いのは久間さんの妻で、4回ぐらいインタビューしています。山方さん、坂田さん(元捜査一課特捜班長)、飯野さん(元特捜班)は2回、西日本新聞の傍示さん(元事件担当サブキャップ)、宮崎さん(元記者)も大体はロングインタビュー1回ずつですね。4時間ぐらい一気に聞いています。 例えば、なぜ新聞記者になったのかというところから始め、それから飯塚事件のときは何をされていたか、取材対象者のなかで飯塚事件というものがリアルタイムで起こっているかのように聞きました。それは、インタビューで工夫したところでした。 それぞれの考えをぶつけ合うような構成にしようと最初から決めていました。単独で、できるだけ僕との真剣勝負の緊張感のなかで喋ってもらいました。例えば、西日本新聞で飯塚事件のスクープを出す際のキャップと記者の掛け合いだったり、検証取材を始めるときの編集局長と記者の受け答えだったり、あらかじめ情報として知っていたものはすべて狙って聞いています。 そのなかで、アイコちゃん着衣発見のくだりは、インタビュー中に山方さんが、久間さんの妻にその服を見せたら「やっぱお父さんやったですか」と語ったと、突発的に言った。それは知らなかったので、その後に久間さんの妻に確認し「服を見せられたことはなかった」と聞いています。確認しないと証言も使えません。そういったバランスは取っています。 ─警察と弁護士はお互いを論評しますが、木寺さん自身はそうされない。どんな意見でも否定せずに聞くことを重視されたのでしょうか。 木寺:もともと司法制度の何かを暴きたいとか、この事件が冤罪だからやりたいということではなく、人間ドラマとして見たいというのがスタートだったので、この人を疑ってかかろうみたいなのはないんですよ。でも、話していることに何か疑問があったら素直に、できるだけフェアに聞くというのは心がけていたことでした。 以前、ドキュメンタリーとは何かという話をしていたときに、先輩プロデューサーから「人間を描くこと」だと言われたことがあったんです。ドキュメンタリーはすべて、人間って何かということを描いているんだと考えると、少し楽になりました。人間を掘り下げていけば何かに辿り着く──あるテーマに絞ってやっていくと、結局、間口が狭くなり、伝わり方が浅くなってしまうような気がして。僕は記者でも報道ディレクターでもないので、何かをジャーナリスティックに伝えようという気持ちはさらさらないんです。ドキュメンタリーとして、いま生きている人たちを通して、ドラマをやっているというふうに考えています。 ─インタビューで被写体が話す言葉は、用意された台詞とは異なり、即興的で時折コントロールが崩れる瞬間があります。ドキュメンタリーにおけるインタビューという手法については、どのようにお考えですか。 木寺:もともとは三脚据えて正対して、過去のことをインタビューで聞くという番組はあまりやったことなかったんです。前作のETV特集『連合赤軍~終わりなき旅~』(2019年)のときから始めたんですが、それまでは日常のなかで生身の人間、例えば親と子、被害者遺族の夫婦の感情がぶつかるような場面をリアルタイムでどう撮り切るかということに腐心してきたんですが、そのやり方に限界を感じて──ちょっと飽きちゃったというのもあるんですけど(笑)──インタビューを主体にやろうと切り替えました。 例えば、何を聞くかを向こうには言わずに隠し玉をいきなりぶつけて、その反応を見るようなやり方だったり、インタビューにもいろいろな方法があると思いますが、僕は事前にじっくり話を聞いたり、一緒にお酒飲みに行ったりということを繰り返し行なっています。そういうところまで持ち込まないとできないタイプなんです。『連合赤軍~終わりなき旅~』でも、浅間山荘事件で服役を終えた元メンバーに、仲間を殺した理由を聞くのに10年ぐらいかかった。毎月の会合に行って、お酒飲んで、10年ぐらい経って、やっと聞くことができた。記者が突然「なぜ殺したんですか」と聞くより、もっと深いところにどう持ち込むか。本作でも撮影前から、みなさんと長時間一緒にいるということをやっています。 ─日本のドキュメンタリーで警察が率直に語っている姿を見られるのは珍しく思えます。警察と弁護士が互いを証拠をつくり上げる存在と言っていたり、警察のひとりは芝居の優劣で裁判の天秤がどちらに傾くか決まると認識していたり、本音が垣間見えるようで興味深かったです。 木寺:じつは、事前の取材では聞いてなくて。散々一緒にも飲んでいるのに、飲み屋では言っていなかったことを、初めてああいう場で言うんですよね。カメラ前だと言わないってイメージあるじゃないですか。彼らとは飲みに行って仲良くはなってるんですけど、居住まい正した緊張感ある撮影のやりとりのなかで、自分で気づかないうちに言っていることとかあるんだと思います。西日本新聞の人たちもインタビューだから言っていることも結構ありました。カメラの回ってない場では言ったけど、オンカメラでは言わないというのが普通だと思うんですけど、今回は結構逆なんです(笑)。不思議ですよね。 ─それは後からカットしてくれとは言われないんですか。 木寺:誰一人としてそれがないんですよ。事前に見せろもありませんでした。オンエア前に、ある程度は内容を説明しに行くんですが、福岡で山方さんに説明しようとしたら、「あんた、もう1回いいって言ってるんやけん、もういいたい」って。 ─書籍版のエピローグで明かされていましたが、山方さんが番組放送後、視聴者が思ったままに各々判断してもらって構わないと語られているというのも驚きました。 木寺:びっくりしましたね、本当に。「公平につくってもらってるから、裁判員みたいにして無罪だと思ったんだったらそれはそれでいいんじゃないか。私は違うけどね」と快活に言った。すごいなと思います。