死刑執行後も冤罪議論が続く飯塚事件。破格のドキュメンタリー『正義の行方』監督が語った「疑問」
『正義の行方』は、1992年に福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された飯塚事件をめぐって、当時の捜査を担当した警察官、有罪判決を疑問視する弁護士、そして事件発生時から報道をしてきた新聞記者の3者の視点を交差させて展開するドキュメンタリー。犯人とされた人物の死刑をもって決着されながらも、多くの謎が残る実際の事件を、まるで答えのない複雑なパズルを読み解くように語る。 【画像】木寺一孝監督 黒澤明の先駆的な映画『羅生門』(1950年)の構造を取り入れ、同じ事件を警察の角度から、次は弁護士の角度から、さらに今度は記者の角度からアプローチし、その全体像を多角的に再検証している。カメラはインタビューを受ける人々の言葉や表情の揺れをじっくり見つめ、それぞれの語りをどう評価するか、誰を信じるべきか、観客自身に考えさせる。 DNA型鑑定や目撃証言などから犯人とされた久間三千年元死刑囚。判決から約2年という異例のスピードで死刑が執行されたが、本作では、そのDNA型鑑定の証拠価値がないという専門家の意見も語られる。一方、監督の木寺一孝は、本作は久間元死刑囚が有罪か無罪かを問うことが目的ではないと語る。飯塚事件のスクープを報じた西日本新聞社による自社報道を検証する連載企画と出会い、そのなかで「記者たちが事件当時にスクープを出してよかったのか、葛藤を赤裸々に書いていた」ことに触発され、警察、弁護士、メディアそれぞれが抱える葛藤に焦点を当てた。結果として、本作は、日本の刑事司法そのものの脆弱さや欺瞞を突きつける。いかにして『正義の行方』はつくられたか、その方法論に迫った。
真相究明ではなく、それぞれの正義を探る物語
─「信頼できない語り手たち」を通して複数の証言を並べて映す『羅生門』の話法は、疑わしさの残る事件を語るうえで適していると思いました。なぜこの物語装置を利用しようと思われましたか。 木寺一孝(以下、木寺):2011年に死刑をテーマに被害者遺族の番組を作っていたなかで、飯塚事件では死刑が執行されたあとに再審請求が進んでいるということを初めて知りました。もし再審開始になったら大変なことが起きると感じたのが、関心を持ったきっかけでした。 そこから弁護団に足場を置いて取材をしていましたが、どうしても一方的な視点になってしまって企画が通らない時期が続いていました。尻すぼみになっていた2018年ごろ、西日本新聞の連載が始まりました。少しでも事件に関係がある人に話を聞いて記事にしていて、その方法がヒントになりました。連載のなかには警察への取材も含まれていたので、警察も取材すべきだと考え、まず元福岡県警捜査一課長の山方泰輔さんに手紙を書きました。それが2019年ごろで、そこから徐々に取材が広がっていきました。 警察官を口説くときにこちらのスタンスをどう考えればいいのかと、プロデューサーらみんなと議論するなかで、それぞれの正義の物語にしたいと思い至った。あくまでも裁判を追うのでも、あるいは真相究明や犯人探しでもなく、3者それぞれの正義を探っていこうと。それが最終的に、『羅生門』のような構成で紡ぐかたちになりました。 ─パンフレットに寄稿した作品評の中で同様に『羅生門』型のドキュメンタリーとして、エロール・モリス『The Thin Blue Line』(1988年)に触れましたが、具体的に何か参考になった作品はありましたか。 木寺:実は『The Thin Blue Line』は未見なんです。ネタバレになってしまうので作品名は言わないことにしてるんですが(笑)、Netlixの犯罪もののリミテッドシリーズを参考にしています。 ─確かに映画よりもむしろリミテッドシリーズなどに『羅生門』スタイルは多い気がします。『羅生門』のような構成は、本作においてはどのような効果をもたらしたと思いますか。 木寺:(鑑賞者に)疑似体験をしてもらいたいと考えていました。そのため、同心円的に遠い証言者から、遠回しに事件のことがわかっていくようなつくりを目指しました。普通なら久間さんの妻といったような核心の人物から入ると思いますが、(被害者が通っていた)学校の先生や駐在の警察官から始まって、草の根の関係者から徐々に事件を体験していくようなつくりにできないかと。映画に先駆けて放送されたテレビ版は、第1回、第2回、第3回のようにリミテッドシリーズ的な感じを狙っていました。本当は第4回まであるはずだったんですけど、さすがに4本、200分はダメだって言われてしまって、約150分になりました。 ─『The Thin Blue Line』ではカメラの背後のモリスの声はほとんど入り込まない一方で、本作では木寺さん自身が時折、被写体に質問を投げかけますね。その声は観客の疑問を代弁する役割を果たし、いつしか観客も能動的な参加者となって、一緒に調査しているような気にさせます。自身の声も残しておくということは意図的だったのでしょうか。 木寺:立場が違う人たちの証言を聞いていくなかで、ナレーションを使ってしまうと、どうしても誘導してしまう。そうではなく、観客に積極的に探りながら見てほしかったんです。そこで、ナレーションの代わりに、実際の資料映像の音声、そして自分のインタビューする声を時系列を整理するための材料にしました。 例えば「1992年2月20日、ここで大変なことが起きるんですね」という質問の声をそのまま使うことなどは、あらかじめ念頭に置いていました。また、疑問を投げかけるところもですね。山方さんに(証拠の)捏造を本当にしてないんですね、と念を押すとか。自分がディテクティブになって事件を掘り下げるというより、証言者たちを掘り下げていくことをやりたいと思ったんですね。事件そのものを掘り下げるのであれば、例えば目撃証言者や、あるいは裁判官や検察官にも話を聞かなければいけなくなる。でもそれをやってしまうと、『裁判の行方』となってしまい、泥沼に入ってしてしまうと思ったんです。 なので、私たちが真相を追求していくのではなく、葛藤を語ってくれる人に話を聞きたい――30年前の事件をいまも背負っている人たちを深掘りし、こちら側の主観をできるだけ削いで、それを並べることに腐心しました。そのなかで、それをどうやってフェアに編集していくか、どちらかの比重を重くすると黒に見えたり、白に見えたりする。いかに情報を均等に見せるか、そこが1番苦労したところです。 ─おっしゃる通り、それぞれの相反する証言を矛盾を残したまま観客に差し出していますね。例えば映画作家の想田和弘さんは、日本のテレビドキュメンタリーは台本主義的で、懇切丁寧にナレーションやテロップで説明してしまう問題を指摘していました。 木寺:今回、テレビの段階から映画にしようと構想していました。よくテレビでは、冒頭でまずこの番組の内容はこうですよというサマリーがあり、そこから「はいご覧ください」と1から見せていき、しかもナレーションでわからないところを潰していくというようなつくりになっていますよね。それは面白くないと思っているので、今回はナレーションをつけない、いちいち説明しない、立ち止まらないと、あらかじめ決めていました。