マルチに活躍する美女・高鶴桃羽が語る初グラビアの記憶「初めて水着姿になった時は『私、大丈夫ですか?』って何度も聞きました」
『週刊プレイボーイ』に登場する美女たちに記念すべき「初グラビア」の思い出を語ってもらう『初グラビア物語~My First Gravure Story~』。今回はグラビア、バレエ、女優などマルチに活躍する美女・高鶴桃羽(たかつる・ももは)さんによる前編。 【写真】高鶴桃羽の初水着グラビア 高鶴さんは2歳からクラシックバレエをはじめ、18歳からロシアのバレエ学校に留学。帰国後、2023年8月に恋愛リアリティショー『オオカミちゃんとオオカミくんには騙されない』に出演し、話題を呼んだ。9月に『週刊プレイボーイ』2024年39・40号で初グラビアを16ページのフルボリュームで披露。その愛らしい笑顔としなやかなスタイルが大きな反響を呼んだ。 その後、写真週刊誌やマンガ誌でもグラビアを披露。現在は日本のバレエ団に所属し、バレリーナとして活動するほか、女優としても活躍中。来年2025年を大きく賑わせる存在として、その注目度は高まるばかり。今回は芸能界デビューのきっかけから、週プレの初登場までのエピソードを語ってもらった。 ーー週プレにゆかりのある方々に初グラビアの思い出を、その前後のお話とあわせて伺っています。もともと高鶴さんは幼い頃からバレリーナになるのが将来の夢だったとか。クラシックバレエはどんなきっかけで始めたんですか? 高鶴 私はフランスで生まれ、2歳の時に帰国したんですけど、すぐに保育園へ通えなかったんです。そこでお友達ができればと、親がバレエ教室に入れてくれました。すると親が想像していた以上に私が踊ることを大好きになって。小学校1年生の時にコンクールに出て、そこから本気でバレリーナを目指すようになりました。 ーーコンクールって誰もが参加できるわけではないし、期待もかけられていたんでしょうね。 高鶴 とても熱心に指導いただきました。最初は週1回通っていたのが週6~7回になり、同年代だけでなく、年上のクラスにも通っていました。中学生になってからはバレエの短期留学を繰り返すようになり、スイス、ベルギー、チェコへ行き来して。高校3年生の時には、ロシアへ長期留学することになりました。当時はそのままロシアで暮らし、向こうのバレエ団に就職することを考えていました。 ーーロシアでの留学中、生活面で苦労はしなかったんですか? 高鶴 朝5時半に起きて、夜12時過ぎに寝るまで、ずっとトレーニングとレッスン。ひたすらバレエに励んでいたし、苦労を感じる余裕もなかったです(笑)。ただ食事はちょっとだけ辛かったです。毎日学食で出るカーシャっておかゆは、フルーツが入っていて、ハチミツとオリーブオイルをかけて食べるんです。甘いおかゆですからね。なかなか慣れなくて、毎日、日本食が恋しかったです。 ーー日本の芸能界へは? 高鶴 高校1年生の時、バレエのお仕事で上京した際、一日だけ観光したんです。原宿に行った時、今の事務所にスカウトしていただきました。もともと芸能の世界にも興味があったんですけど、バレエに集中していたし、芸能活動禁止の学校だったので一応所属だけ、という形にしました。 ーー芸能のどの辺に興味が? 高鶴 ドラマや恋愛リアリティショーが大好きで、いつか自分も出てみたいと思っていたんです。特に恋愛リアリティショー『オオカミシリーズ』では、事務所の先輩が出演されていたと聞いて、自分にもチャンスがあるんじゃないかって思って。お母さんも「本当にやりたいのならやってみれば」と快く承諾してくれました。 ーー好きな芸能人はいたんですか? 高鶴 石原さとみさんと菜々緒さんです。石原さんは20歳の時に、65歳までどう過ごすかを考えていたとか。それを知って、ビジョンを持って努力する大切さを学びました。また菜々緒さんは素敵なスタイルを維持するため、驚くほどストイックな生活をしているらしく、美に対し高い意識を持つことを学びました。いまでもおふたりは自分にとって憧れですね。 ーーロシアでの留学生活から、芸能の道へはどのような経緯で? 高鶴 留学して1年弱で、ロシアとウクライナとの戦争が始まってしまい、帰国を余儀なくされたんです。人生の大半を費やしてきたバレエの道が急に閉ざされて落ち込んでしまって。途方に暮れていた時、親が「バレエだけが人生じゃないよ」って声をかけてくれたんです。そこで芸能の道を考えるようになりました。事務所の方に連絡したところ『オオカミシリーズ』のオーディションを勧められて、受けたらなんと合格! 上京することになりました。