考察『光る君へ』11話 まひろ(吉高由里子)だって、本気で北の方になれるとは思っていない!倫子(黒木華)と同じ意中のその男性の
「虫けら」という兼家の言葉
兼家「そこまでわかっておってどの面下げて頼みに参った」 これまた厳しい言葉。しかし、よく会ってくれたとは思う。今回の政変の成功は、為時が道兼(玉置玲央)を花山帝(本郷奏多)の傍まで引き入れたことが大きかったゆえに、それへの間接的な褒美かもしれない。会ってやるだけでもありがたいと思え、という……。 誰か来客かと道長がそれとなく訊ねると、 「虫けらが迷い込んできただけじゃ」 まひろを「虫けら」という兼家の言葉に、道長と共に胸を痛める。貴族とはいえ権力とは程遠い、そして兼家の命令を拒絶した男の娘。彼女を傍に置くことを、きっと兼家は許すまい。
宣孝は自信満々だが
宣孝(佐々木蔵之介)とまひろが縁側で語らう。道長とは暗闇の荒れ果てた屋敷でしか逢えないので、明るい陽の降り注ぐ自宅で誰はばかることなく会って話せる相手というのは、見ていてなんとなく安心できるものがある。ただ、宣孝が自信満々に述べる、これらについては 「わしにも幾人かの妾がおるし」「どの女もまんべんなく慈しんでおる。文句を言う女なぞおらんぞ」 へーえ。ふーん。ほおー。宣孝の嫡妻と妾全員にお出ましいただいて、「おたくの殿様はこう仰っています。そのあたり、皆様いかがお考えですか?」と、正直な気持ちを伺いたいものである。 酸いも甘いも嚙み分けたような大人の男でも、妻たちの心の内は読み切れていない。
思うのは逢瀬の時の体の感触
まひろと道長、お互いに相手を思うイメージは、逢瀬の時の体の感触だ。髪と背をなぞる手、闇夜に浮かぶ顔、息遣い、首筋に回った手、頬の柔らかさ、そして……。 百人一首 権中納言敦忠の歌を思い出す。 逢ひみての後の心にくらぶれば昔は物を思はざりけり (あなたと契った後の今の気持ちに比べたら、逢う前は想っていないも同然でしたよ) プラトニックな恋独特の熱は素晴らしいが、肉体の交わりが相手の輪郭をくっきりと自分の中に残し、あとあとまで反芻させるのは確かだろう。 もちろん『源氏物語』にも、光源氏とその女たちが逢瀬のあと相手を想う場面は多々ある。予想以上に素敵な人だった、或いは落胆させるものであった、情を交わした後でも緊張する相手であったなど。恋がもたらす感情の変化に敏感な書き手ならではと思う。