億万長者って本当に幸せなの?落語『水屋の富』から読み解く「大金」と「幸福」の関係【立川談慶が解説】
貯金の使い道を改めて考えよう
いやあ、実にカネにまつわる深い話であります。この噺は率直に言ってしまえば、「宵越しのカネは持たずに」ということなのでしょう。 つまり江戸は現代の日本とは違い、貯金しないで市中にお金が出回っているからこそ、経済も回っていた世の中でした。稼いだお金をその日に使ってしまうことが「粋」だと考えられていたからこその現象でもあったはずです。 落語には「俺たち職人は、仕事さえあれば大名暮らし」というセリフもよく出てきますが、貯金する人たちをバカにして、「カネがなきゃないで、どうにかなるさ」というようなのんきさが、庶民の生き様に反映されていました。 そしてその空気感が、確実に落語の下支えとなってきました。この辺り、「金融資産世界一」と言われている今のこの国とは対照的ですよね。経済学者が「市場にお金が行き渡れば」と口を酸っぱくして言いつづけても、タンス預金に明け暮れるお年寄りが多いと聞きます(この落語、今で言うならタンス貯金そのものですよね)。 以前と比べて、金利は上昇する気配にあるとは言えましょうが、それでもお年寄りは銀行に行くよりタンス預金を抱えているという、そんな背景があるからこそ、それを狙う犯罪組織による事件が頻繁に発生しています。 まさに“貯金の使い道”を考えなくてはいけない時代であります。
幸福の基準は低くていいじゃないか
そしてそれと同時に、この噺は「身の丈以上の大金を持って、果たして生きやすいのか」という人類永遠のテーマをも訴えているような気がしてなりません。 以前、宝くじ高額当選者のその後の人生を綴った本を読んだことがありますが、まさにこの落語のオチと同じように、「億万長者になって、本当に幸せだったか」という課題を突きつけられたような生活を営んでいたものでした。 いわゆる「持ちつけないカネ」は、不幸のもとなのかもしれません。 自分の周囲にも大金持ちがいますが、「海外への家族旅行は親子で時間差で行く」と言っていましたっけ。万が一、同じ飛行機に乗っていて事故に遭遇した場合の、相続遺産を考慮してとのことでした。 親子で一緒に飛行機にも乗れないなんて、金持ちには金持ちなりの苦労があるんだなあと、私は庶民で生まれたことに感謝するのみでした。 談志はいつも打ち上げなどで、サインには「幸福の基準を決めよ」と書いていたものです。「世界旅行なんかしなくても、1日中茶碗の蓋を眺めているだけで幸せを感じる奴にはかなわない」とよく言っていたものです。私の30年以上の落語家としての経験からもお伝えすると、「幸福の基準は、低ければ低いほどいい」のです。 「一人で行くすきやばし次郎より、家族で行くすき家」ではないでしょうか。やはり食事は食べる内容以上に、誰と食べるかこそ肝心なのだと確信しています。 立川 談慶 落語家・立川流真打ち