ガールズケイリン若手期待の松井優佳が苦しんだ「卒記クイーン」のプレッシャー「3着以内に入って当たり前の感じが大変でした」
【卒業記念レースクイーンとして注目】 松井優佳は現在のガールズケイリンで、注目すべき若手のひとりだ。2023年3月に行なわれた日本競輪選手養成所第124期生の卒業記念レースで史上7人目となる完全優勝を果たしてプロ入りした逸材で、ルーキーイヤーは優勝こそできなかったが、多くのレースで上位に食い込み、ファンの期待を集める存在となった。 【画像】アスリートボディの松井優佳 「中学生で自転車を始め、ずっと世代ごとの大会で上位で戦ってこられましたが、今はすごい選手ばかりで、もっと頑張らなければいけないとレースのたびに感じています。もうすぐデビューして1年が経ちますが、正直、まだまだだなぁというのが今の気持ちで、優勝するにはものすごい努力が必要だと実感しました」 目立つことはあまり好きではないと自分の性格を口にする松井。だが卒業記念レースのインパクトが強かったこともあり、"期待のルーキー"として注目され続け、この1年はプレッシャーを感じる場面が多かった。 「卒業記念レースは優勝を狙っていましたが、まさか本当にできるとは思っていなかったんです。その優勝の印象が強いのか、自分の場合は、3着以内に入って当たり前、という感じになり、大変でした。今はその事実を受け入れ、頑張るしかないと思っています」 表情を引き締めながらそう話す。 【高校1年からジュニアナショナルチーム入り】 常に日の当たる道を歩んできたエリートだ。中学生から自転車競技を始め、高校は地元、大阪を離れて、名門、鹿児島県立南大隅高校に進学。1年でジュニアのナショナルチームに選出されると、その年のアジア選手権のジュニアチームスプリント、ジュニア500mタイムトライアル、ジュニア団体追抜の3種目で銀メダルを獲得している。2年、3年時ではUCIジュニア世界選手権にも出場した。
「高校のふたつ上の先輩に今、ガールズケイリンで活躍している寺崎舞織さんがいて、私が入学した時にはすでにナショナルチームに選ばれていました。毎月、代表の合宿に呼ばれている姿に憧れていたんですけど、すぐに自分も選んでいただけるようになって。合宿などには一緒に連れて行ってもらっていた感覚なので、当時は特別なことという意識はなかったんですよ」 国際大会は、恐れることなく思い切り走れることが楽しかった。一方で日本代表として実績を積み上げていくことで、国内の大会では「負けられない」という思いが生まれ、松井の心と脚を縛った。高校3年時はインターハイに照準を合わせてシーズンをスタートしたが、7月のインターハイ本番、ポイントレース12kmで優勝を手にするまで一度も頂点に立てない経験もした。 「この年は本当に苦しかったんです。負けられないっていうプレッシャーを乗り越えられたかどうかわかりません。ただ自分のなかで国際大会よりインターハイで勝ちたい思いが強かったので、最後の最後で勝てたことは本当によかったです」 感情を表に出すことなく飄々としている松井だが、大きな苦しみを抱えながら壁を乗り越えてきた。その経験が今も武器になっていることは間違いないだろう。 【大学で過ごした有意義な時間】 ガールズケイリンへのあこがれは自転車競技を始めた中学生の時から持っていた。だが高校卒業にあたり、養成所ではなく、同志社大学スポーツ健康科学部へ進学し、競技を継続する決断をする。それにはいくつかの理由があった。 「まずプロになることが、当時はどういうものかわからなかったんです。そんな中途半端な気持ちで目指してもうまくいくわけがないと思ったのが理由です。それに自転車以外のスポーツも好きで、もし競輪選手になれなければ、他のスポーツに関わる仕事がしたいと思っていました。大学で自分の体のことを学びつつ、スポーツマーケティングなどを勉強すれば、将来の選択肢も広がるかなって思ったんです」