ドラえもん声優・大山のぶ代がチンピラを前に見せた驚きの演技。アニメ化にさほど乗り気でなかった藤子・F・不二雄が思わずもらした言葉とは
「ドラえもんは、あたしたちの息子みたいなものね」
「もしも~し、ドラえもん、いるぅ?」 受話器の向こうから聞こえる子供の声――。 イギリスのマーガレット・サッチャーが誕生した1979年。その年から、カミさんはテレビアニメ『ドラえもん』の声優を務めるようになった。そして、それ以来、我が家にはこんな電話が頻繁にかかってくるようになったのだ。 僕たちに子供がいないこともあって、当初は、ドラえもんが、そしてカミさんの声がこれほどまでにウケているとは、正直なところピンと来ていなかった。だが、気づけば、世間では僕の想像をはるかに超える空前の“ドラえもんブーム”が巻き起こっていたのだ。 『ドラえもん』は、テレビ朝日で放送が開始される数年前に、別のテレビ局で放送されていたが、半年ほどで打ち切りになっていた。だから、原作者の藤子・F・不二雄先生は、一説には、テレビでの放送にあまり乗り気ではなかったと聞いたことがある。 だが、テレビ朝日で放送が始まることになり、新たにドラえもん役に抜擢されたカミさんの声を聞いたとき、先生は大変喜んでくれたのだという。 「先生がね、あたしが声入れをした完成作品の試写を見て『ドラえもんって、こういう声だったんですねー』って、おっしゃってくれたの。それを聞いて、あたしもう、ウフ、フ、フ、フ、本当に嬉しくって」 藤子先生の言葉は、プレッシャーを感じていたカミさんにとって大きな励みになり、大きな自信に繋がったのだろう。 彼女のドラえもんへの気合いの入れようは尋常ではなかった。 ドラえもんが子供に愛されるキャラクターになるように心を砕き、台本にぞんざいなセリフがあれば、自ら別のセリフを提案することもあったほどだという。すっかり定番となった「コンニチハ、ボク、ドラえもんです」という挨拶も、このようなカミさんの思いから生まれたそうだ。 実際、カミさんはドラえもんを心の底から愛していた。 芸能人には、「仕事関係のものは、自宅では見たくない」という人も多いのだが、彼女は正反対。我が家は、瞬く間にたくさんのドラえもんグッズで溢れ返った。各国の民族衣装を身につけたドラえもんのぬいぐるみ、目覚まし時計、クッション、コップ、茶碗、トースター、スリッパ、バスローブ、貯金箱にカレンダー。トイレに入れば手洗いの蛇口までが、ドラえもんになっている。 そのうちカミさんは、素の声までドラえもんそっくりになってきた。夫婦ゲンカをしたときも、あの声で反論してくるので、 「おい、ペコ、ドラえもんになってるぞ」 と僕が言うと、二人とも思わず笑ってしまい、それでケンカはおしまいだ。 「ドラえもんは、あたしたちのところに来てくれた息子みたいなものね」 ことあるごとに、彼女はしみじみと、そう呟いていた。 文/砂川啓介 写真/Shutterstock ---------- 砂川啓介(さがわ けいすけ) 昭和36年、NHKの幼児番組「うたのえほん」に出演し、体操のお兄さんとして大ブレイク。歌手活動や講演会などで活躍。昭和39年、舞台での共演がきっかけで、女優・大山のぶ代と結婚。2008年にのぶ代夫人が脳梗塞で倒れて以来、在宅看護を担う。2012年秋、夫人が認知症を発症するも、自宅での介護を継続。2015年5月、ラジオ番組でこの事実を公表し、話題となった。2017年、尿管がんのため死去。 ----------