「心が折れる」という言葉を作ったのは神取忍だった。発言の背景には「怪我をさせたらダメ」という前提が
なぜ10数年経ってから流行したのか
この「心を折る」の発言があったのが1987年で、同インタビューの内容が掲載された井田真木子氏の『プロレス少女伝説』(かのう書房)が発売されたのが1990年。90年代前半、筆者はすでに物心がついていたが、「心が折れる」という言葉が一般化していたかというと、そうでもない。神取氏本人も同じ感覚のようだ。 「広まったなと感じたのは、本が出てからもさらに時間が経ってからかな。格闘技の漫画やイチロー選手などの発言から広まったみたいだから、90年代の半ばから後半じゃない。日本経済新聞が調べてくれたみたいで、私の発言が最初だったという連絡をもらったんだよね。でも、私も流行らせようと思って言ったわけじゃないし、自分がその言葉を発していたこともすっかり忘れてた(笑)」 1987年の発言が、なぜアンダーグラウンドでの熟成の時間を経て、一気に広まったのか。神取氏は次のように話す。 「87年は、まだ今みたいにストレス社会という感じではなかったもんね。そこから10数年経って、窮屈な世の中になってきたじゃない。『心が折れる』という言葉が広まったのには、そういう時代背景も影響してるんじゃないかな」 確かに87年は、バブル好景気の真っ只中。その後、およそ10年を経て時代にマッチしてきたようだ。
「心が折れる」経験はたくさんあった
相手の「心を折る」発言をした神取氏。逆に「心が折れる」経験をしたことはあるのだろうか。 「大事にしていた試合や、勝てると確信していた試合で負けたりで、心はしょっちゅう折れてるよ(笑)」 また、リングの上だけでなく政界に挑戦した際も、心が折れる経験をしているという。 「議員になってからは、心が折れるといっても、リングの上とはタイプが違うものかもしれない。発言のチャンスがもらえないとか、自分の勉強が追いついていないとか、ガツーンと一発食らって心が折れるのではなく、ボディーブローみたいにジワジワ効いてきて『あ、このままじゃ心が折れちゃう』と思ったり。最近だと、私を唯一叱ってくれる存在だった姉が亡くなった時も心が折れた瞬間だね」