辻発彦×槙原寛己(司会=神田れいみ) 『つじのじつ話』重版記念企画 SPECIAL TALK 03
西武は教育されていた
左から辻さん、神田さん、槙原さん
槙原寛己さんのYouTube『ミスターパーフェクト槙原』とのコラボ企画。槙原さんと小社から『つじのじつ話』を刊行した辻発彦氏との対談だ。3回予定の第3回だが、はみ出しそうだったので、もう1回続けます。司会は神田れいみさん。 神田 お二人が現役だった西武-巨人の日本シリーズの対戦は、1987、90、94年の3回です。その1回目、87年は槙原さんが第4戦で完封勝利を飾ってはいますが、西武が4勝2敗で日本一になっています。ジャイアンツの印象はいかがでしたか。 辻 緊張した。その前、阪神、広島と日本シリーズをやったけど、やっぱり当時の巨人はちょっと違っていたからね。 神田 ジャイアンツの投手はいかがでしたか。 辻 すごかった。まだ、江川卓さん、西本聖さんがいたしね。僕は入団前の83年、日本シリーズをスタンドで見ていたんですが、2人は雲の上の存在に見えました。西本さんがガンガン、シュートを投げ、サードゴロ、ショートゴロばかりだったのを覚えています。 槙原 87年は、確か清原和博の入団2年目ですよね。辻さんはあまり打ってなかった印象があります。 辻 僕はあの年、オープン戦でに右手人さし指をケガして、4カ月くらいダメだった。復帰してからの日本シリーズでしたが、まったく打てなくて、走っただけでしたね。 槙原 辻さんがセンター前ヒットで一塁からホームまでかえった年ですよね(第6戦8回裏)。あれで、「ああ、西武は野球が違うんだ。俺たちは遅れているな」と感じました。2勝はしましたが、全敗したくらいのダメージでした。かなり下調べもしていたんでしょうね。 辻 ミーティングの第一声が、「ジャイアンツの守備を見たとき(センターの)、クロマティが穴だ」だったからね。 槙原 確かにクロマティは捕ってからポアンと返すんですが、当時はそういうセンターも結構いたし、「ここを突くのか!」と思いました。結局、僕らには隙があったけど、西武は一つも抜かなかったということでしょう。大人のチームだなと思いました。しかも走力がある選手が多かったですしね。 辻 西武は教育されているからね。誰もが走塁は全力だし、行くべきところは必ず行く。変な走塁はなかった。 槙原 選手同士で言い合っていたとも聞きました。 辻 凡ミスがあれば、「何をやっているだ」と選手同士で言っていた。 槙原 そこが違うんですよね。僕らは・・・
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週刊ベースボール