ビール瓶を手にした長谷部誠32歳「心の底から喜びは湧かないです」落胆する元仲間の肩に手をかけ…“降格→移籍→古巣に勝って残留”の悲哀
元日本代表MF長谷部誠が、偉大なサッカー選手としてのキャリアを終えた00年代後半からドイツで取材を続けた日本人ライターが、強く印象に残った思い出を所属クラブ時代ごとに綴る。(NumberWeb引退記念ノンフィクション/第1回から) 【決定的瞬間】悲しむ元仲間に長谷部32歳は手を差し伸べた…「古巣相手の非情な残留劇」や引退試合で娘&息子との感動的ハグ。19歳の“茶髪ロン毛時代など長谷部誠の軌跡を写真で見る 長谷部誠のニュルンベルクとの契約には、「2部に降格した際には契約が無効になる」という条項が含まれていた。長く1部でプレーしてきたような選手の契約には、ごく当たり前に含まれるものだ。 だから、2013-14シーズンが終わると同時に、長谷部はフリーの身になった。
フランクフルト移籍時に考えた「人間性」
もちろん、ニュルンベルクからは、1部復帰を目指すチームの核となってほしいというオファーをもらった。同時に、複数のクラブからオファーが来た。そのなかの一つが、フランクフルトからのものだった。 長谷部はこの年の暮れにこう振り返っている。 「やはり、難しかったですよね。決めるまでにはけっこう時間がかかりました。フランクフルトをはじめドイツの他のチームからオファーをもらっていて、ニュルンベルク残留を含め、全ての選択肢を並べて考えました。ただ、サッカー選手としてもっと上にいくことを考えたときには、どうしても高いレベルでプレーしたいということで最後に決断しました」 ご存じの通り、ここで長谷部は1部にいたフランクフルトを選んだ。 それでも、晴れやかな気持ちになったわけではなかった。後ろ髪を引かれる思いは消えなかった。 「自分の『人間性』という部分ではどうなんですかね……。今でも、ニュルンベルクに残ることが正解だったんじゃないかと思うときがあります。後悔しているわけではないのですが。たぶん、これから一生、あのときのことを考えるでしょうね」 ただ、決断を下した後の行動は長谷部らしいものだった。
自らニュルンベルクのGMに電話を掛けた
契約については選手の口から伝えづらいことがある。給料を上げる交渉もそうだし、オファーをもらったクラブに断りをいれることもそうだ。だから、多くの選手は代理人をつけて、それらの仕事を任せる。 しかし、このときの長谷部は、代理人を制して、当時のニュルンベルクでGMを務めていたバーダーに自ら電話をかけた。 「簡単な決断ではなかったですし、何より、責任を感じています。本当に悩みました。ただ、やはり高いレベルでプレーしたいから、フランクフルトに行かせてもらいます」 〈伝えづらいことこそ、自らの口から説明する〉 2011年に刊行された『心を整える。』が、この年以降に世に送り出されていたら、そんな習慣が書き加えられていたかもしれない。長谷部はそのような誠意を持ち合わせている。
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