「女性はいまだにプリンセス願望を持っている」恋愛しない女性が大物脚本家の発言に「はて?」…ドラマ『若草物語』に受け継がれた『虎に翼』精神
四姉妹それぞれのドラマと人生『若草物語』
このドラマは、タイトルの通り、ルイーザ・メイ・オルコットの『若草物語』を原案にしたドラマである。脚本は『家売るオンナの逆襲』『悪女(わる) ~働くのがカッコ悪いなんて誰が言った?~』の松島瑠璃子。 主人公はドラマの制作会社で働く次女の町田涼(堀田真由)だ。涼もまた、寅子のように疑問を持つことが多く、おかしいと感じたら、すぐに主張するタイプである。 高校時代には、三女の衿(長濱ねる)と電車で通学している時に、車内に婚活、ダイエット、脱毛の広告があふれていることに対して疑問を呈す。仕事の現場でも同様で、涼が担当するドラマの大物脚本家・黒崎潤(生瀬勝久)から、「どんどん恋しないともったいない」などとアドバイスされると表情を曇らせる。 黒崎は、一見、人当たりがよく、女性のよき理解者だという風にふるまう。しかし「やっぱり男は本質的には女性にはかなわない」とか「女性ならではの視点が欲しい」とか言いながら、「フェミニズムを押えておけばトレンドには乗れるかもしれないが、実際の女性はいまだにプリンセス願望を持っており、シンデレラのような物語がウケる」と考えている人だ。 黒崎のセリフにぎゅっと凝縮されているようなことを言われた人は無数にいるのではないだろうか。 また、涼は恋愛感情についてよくわかっていない人物として描かれている。しかし、彼女の高校時代からの同級生で、現在は新聞記者をしている行城律(一ノ瀬颯)は彼女に密かに思いを寄せているのだった。律は、恋愛するのが当たり前とは考えない涼に対して、自分が恋愛感情を向けることは、暴力的になりうるかもしれないと理解している描写にひとまずほっとした。これまでのほかのドラマでは、フェミニズム的な問題提起はあっても、最終的には恋愛至上主義に至る結末のものも多かったために、『若草物語』も最終的にどのような着地点にたどり着くのかはわからないが、タイトルの「恋せぬ私」を信じて見守っている最中だ。 涼以外の姉妹も、それぞれに悩みを抱えている。四女の芽(畑芽育)は、彼氏の浮気で別れたばかり。そんなところに、服飾学校の同級生の沼田灯司(深田竜生)が現れ、恋してしまう。つかみどころがなくミステリアスな沼田に振り回されている感があるが、登場人物の中では、芽はもっとも「恋する」キャラクターである(姉妹の母親も恋する女性であるが)。むしろ沼田のほうが年上の女性と親しくしてお金をもらっていることで、専門学校の同級生から偏見を向けられていたりと、悩みも多く気になるキャラクターでもある。 長女の恵(仁村紗和)は、ハローワークで働く非正規職員。交際相手は、同じくハローワークで働く正規職員の小川大河(渡辺大知)。彼は非正規職員とつきあっていることを隠そうとしている。この小川大河が、一見、可視化しにくいミソジニーを持った男性である。恵の先輩の40代の非正規職員・佐倉治子(酒井若菜)が上司からセクハラをされていても、狡猾に逃げるし、恵が結婚をしないのなら別れると告げると、うやむやな態度をとる。実は、社会にもっとも潜んでいるタイプの男性なのではないだろうか。 二人で一緒にボーリングに行っているときも、大河は恵にアドバイスばかりするものの、恵の方がスコアがよくなると、すぐに不機嫌になる場面が細かく描かれていてリアリティがあった。 三女の衿は、いつからか行方不明で現在は不在である。彼女がいなくなった理由はまだ示されていない。 このように、何人かいる登場人物のひとりひとりに光を当てることで、それぞれのフェミニズム的な問いを表現できるというのは、『虎に翼』と共通したものがある。 しかし、『虎に翼』や『若草物語』のような、フェミニズムを描いたドラマはこれまで作られてこなかったのだろうか? よく、「日本のドラマはつまらない」という声を聴くことがあるが、こと性描写に関してはまだまだ韓国や中華圏で映像として表現するにはタブーが多い中で、良い意味でも悪い意味でもタブーが少なく、自意識や内面についての描写の多い日本の作品とフェミニズム表現というのは、相性がいいとも感じる。