「臨死体験」はありえる? 「私の身体は私のもの」という考え方が意味する「哲学の大問題」
自分の臨終、見られますか?
このようなロックの自己所有論を支持する人々はおそらく、無意識のうちに〈自分の身体〉を支配する〈精神的な自己〉みたいなものがあることをイメージしているだろう。 しかし、もしそうだとしたら、死とともにその精神的な自己のようなものが肉体から離脱し、自分の遺体がどのような状態であるか、それがどう処理されていくのかを見ることができるかもしれない。 実際、救急救命医療の発達により、死の淵から意識を取り戻し、その間の臨死体験を語る人々が増えている。戦場で武装車両が爆破され死に瀕した人が意識体となり、自らの血まみれの死にゆく身体を目撃したという話もある。 もしかしたら自分も臨終後しばらくは意識体となって、その様子を観察しているかもしれない。「インスタ映えする死に顔だねぇ」「しまった、薄目開いてた」とかいいながら自分の遺体を上から自撮りしちゃうかもしれない。 「私が私の身体を所有する」という考えは自明のようであるが、こう考えていくと結構怖い。私の肉体が焼かれて骨粉になる、あるいは朽ち果て、腐り、特殊清掃のお世話になるさまを見る羽目になったとしたら……。 さらに連載記事<女性の悲鳴が聞こえても全員無視…「事なかれ主義」が招いた「実際に起きた悲劇」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美