九十六歳、夫。年下妻の「老々介護」の行き着く果ては――俳句が織りなす、老衰看取り小説。(レビュー)
医学には旧弊を改めてきた歴史がある。 滝沢志郎『月花美人』(角川書店)は、架空の藩・菜澄を舞台とする時代小説だ。利根川を有していることから見て、今の茨城県あたりだろう。望月鞘音は菜澄藩で剣鬼と恐れられた男だが、今は不遇の身で、姪の若葉と二人暮らしをしている。 その鞘音が発明したのが、医療の用途に適したサヤネ紙である。幼い頃からの知己である我孫子屋壮介に卸していたのだが、ある日それを医師の佐倉虎峰がまとめて買い、経血を吸わせるため女性に与えていることを知って激怒する。 この時代、女性の月経は穢れの対象と見なされていた。生計を立てるためとはいえ、武士が手にかけた紙をその用途に使われたことを、鞘音は侮辱と受け止めたのだ。だが若葉が初潮を迎えたことをきっかけに、女性が謂れのない偏見によって苦しめられていることに気づき、壮介・虎峰と共にサヤネ紙の改善と普及に乗り出すのである。 時代小説ではこれまで言及されることのなかった生理現象に光を当て、新たな視点で女性の生を描いた画期的な小説である。鞘音の行いは理解されず、女のシモで口に糊すると陰口を叩かれる。そうした偏見とも闘っていかなければならないのだ。作者はサヤネ紙に関わった者たちの群像を描きながら、医学が人々の蒙を啓く一筋の光であったことを力強く示すのである。
谷川直子『その朝は、あっさりと』(朝日新聞出版)は、一人の男性が最期の瞬間を迎えるまでを描いた、看取りの小説だ。 九十六歳の恭輔は、かつては多くの人に慕われた教育者であったが、十年前に認知症を発して、今は十一歳下の妻・志麻の世話になっている。いわゆる老々介護である。恭輔にもその時が訪れ、死を待つばかりになる。父を見送ろうとする洋子・素子ら娘の視点と、還らぬ人になろうとしている恭輔の意識が交互に配されて、静かな最期の日々が綴られていく。 物語の運びはまるで日記のページをめくっているかのようで、時の流れも緩やかである。恭輔には句作に熱中した時期があった。小林一茶の句が、彼の心を代弁するかのように並べられていく。一茶は諧謔の人であり、晩年には自分を役立たずの老人と嗤ってこんな句を作った――「死下手とそしらば誹れ夕巨燵」。ありし日の恭輔はそうした句に自らを重ねて鑑賞したのである。 やがて恭輔の生命をこの世に繋ぎとめている点滴を止める日がやってくる。その宣告をするときの医療関係者の緊張と、家族たちの日常と地続きのような穏やかさが見事な対比を示すのだ。死が日常である医療従事者にも、やはりその瞬間には非日常が訪れる。現代の死が、心に染みる淡彩で描かれた小説だ。 [レビュアー]杉江松恋(書評家) 1968年東京都生まれ。ミステリーなどの書評を中心に、映画のノベライズ、翻訳ミステリー大賞シンジケートの管理人など、精力的に活動している。著書に海外古典ミステリーの新しい読み方を記した書評エッセイ『路地裏の迷宮踏査』『読み出したら止まらない! 海外ミステリーマストリード100』など。2016年には落語協会真打にインタビューした『桃月庵白酒と落語十三夜』を上梓。近刊にエッセイ『ある日うっかりPTA』がある。 協力:新潮社 新潮社 小説新潮 Book Bang編集部 新潮社
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