先祖伝来の土地が「野ざらし」に 米軍に憤る京都の住民
弾道ミサイルを探知・追尾するXバンドレーダーを配備した米軍経ケ岬通信所が2014年12月に京都府京丹後市丹後町で稼働を始めて26日で10年になる。基地“受け入れ”の際、中山泰市長は「住民の安全と安心の確保が大前提」と繰り返し表明したが、現実はどうなってきたのか。近畿で唯一の米軍基地の町の10年を検証する。【塩田敏夫】 「事故防止のためと防衛(省)から頼まれ、迷いに迷って先祖伝来の土地を売ったが、ずっと野ざらしのまま。一体、どうなっているんだ」。Xバンドレーダーを配備した米軍経ケ岬通信所(京丹後市丹後町)の敷地内にある「三角地」の元地主は怒っていた。 三角地とは、米軍基地東端にある国道178号沿いの一角の土地(980平方メートル)。三角形のような形から、地元では「さんかくち」と呼ばれている。元々は日本海を望む田んぼと畑で、農作業小屋があった場所だった。 防衛省によると、三角地の買収は米軍からの要請で実施した。 基地のゲートは国道178号に面した西側の1カ所しかない。ちょうど、元地主が住む袖志区の共同墓地の前にあたる。大型トレーラーが基地に入門する際、カーブするスペースが狭くて危険性があり、後続の車両に渋滞が起きているとして、東側に安全なゲートを確保したいとの申し出があったという。 元地主の証言によると、2014年に基地が発足してしばらくして防衛省の担当者が訪ねてきた。そして、「ぜひ協力してほしい、土地を売ってほしい」と依頼してきた。 関係者によると、地権者は元地主を含めて4人。元地主は戸惑い、返事ができなかった。先祖伝来の土地であるうえ、そこには住民が集まり、コンサートを開く交流の場ともなっていた農作業小屋が建っていたからだ。父親が丹精込めた建てた農作業小屋を手放すことはしのびなかった。「2階から見る日本海はそれは美しかった」と振り返る。 交渉は何度も繰り返され、時間が過ぎていったが、最終的には元地主が折れた。目的が事故防止である以上、拒むのは難しく、「最後には判子を押した」と語った。 防衛省によると、17年8月24日の日米合同委員会で土地買収について合意。19年1月25日の閣議決定を経て、三角地は日本から米国に提供され、Xバンドレーダー基地の一部となった。日米合同委員会は日米地位協定の実施に関する協議機関で、日本の省庁と在日米軍の幹部が参加して定期的に開かれている。 こうして三角地は売却されたが、現在に至るも一向に新ゲート建設の動きはなく、野ざらしのままの状態が続いている。 地域住民とともに基地の課題を話し合う防衛省の米軍経ケ岬通信所安全安心対策連絡会(安安連)では、京丹後市と府が最初に要望事項を伝えることになっているが、もう何年も「三角地はどうなっているのか」を尋ねるのが慣例になった。 これに対し、防衛省は毎回同じ回答を続けている。「米軍内部で諸手続きが行われているものと承知している」。全く同じ質問と回答が繰り返され、米軍内の動きは全く伝えられていない。 21年3月24日の安安連に出席した元地主は「三角地の利用はどうなっているのか。大型トレーラーの事故防止が目的だった。使わないと用地を提供した意味がない。防衛省の責任で対応してほしい」と訴えた。しかし、防衛省は同じ答えを繰り返しただけだった。 関係者によると、担当する防衛省近畿中部防衛局の幹部が経ケ岬通信所を指揮、命令する米軍の上級部隊を訪問するたび、三角地を巡る米側の動きを尋ねているが、具体的な回答はないという。 三角地の買収には税金が使われている。地元住民は「米軍は日本側に現状と今後の見通しを説明する義務があり、必要でないなら返還するのが筋ではないか」と話す。 地元住民によると、米軍基地の一部となった三角地はほとんど使われた形跡がない。在日米陸軍が5月に実施したXバンドレーダー基地10周年記念式典の際に駐車場に使用した程度だ。【塩田敏夫】