ニクソン大統領を辞任に追い込んだ内部告発者「ディープ・スロート」とは?
マーク・フェルトそのものだったリーアム・ニーソン
フェルト役のリーアム・ニーソンは演技を超え、まさにマーク・フェルトそのものだったと、ランデズマン監督は絶賛する。 「彼は計算して非常に緻密な抑えた演技をしてくれました。本当に素晴らしい役者だと思います。こう演じたいという部分もはっきりしていたし、物静かなたたずまいはイメージどおりでした」 フェルトは仕事場でも家でも、ある意味スパイだった。人生を通してポーカーフェイスを貫いていた。 「だから多くを語らない。そして語れない。ジッとしていなければならないというのを、彼はずっと意識してくれていました。期待どおりの演技です。とにかく高潔な人物で、とても謙虚で品位があります。観客の皆さんには、そこを読み取っていただければと思います」
ノンフィクション映画における脚色のさじ加減
実話ベースの物語の映画化は、ドラマとしての脚色のさじ加減が難しいと言われる。『パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間』(2013)、『コンカッション』(2015)を発表し、その後もノンフィクション作品を手掛けているランデズマン監督はこの問題にどのように取り組んでいるのだろうか? 「何が真実で何が真実ではないかということは、もちろんきちんと調べれば明らかになりますが、描くうえではある程度脚色してもいいと思います。ただ物語の真実を損なったり、逸脱したりすることがなければいいのです。映画というのはドラマであり、役者のパフォーマンスを見せるものであり、結局はアートなので、こまごまとした部分は心配せずに製作者に委ねていい。素晴らしいパフォーマンスとアートに仕上げる意識をもっていく、ただ“北極星のように”。この物語の真実はここにあるという方向性がきちんとしていればしているほど自由につくれると思います」 長編映画に脚色は必ず存在する。『大統領の陰謀』(1976)や『シンドラーのリスト』(1993)、『プライベート・ライアン』(1998)もそうだった。 「物語を受け取った人がそれをある種の神話としていく。ただ、何が史実で何がそうでないか。忠実でなければいけない部分の扱いは、僕たちがより一層、気を付けていかなければならないものだと肝に銘じています」