中国・西侯度遺跡、中国最古の文明の火を訪ねて
【東方新報】黄河の河畔にある約243万年前の「西侯度遺跡(Xihoudu)」は、中国で最も古い旧石器時代の遺跡の一つで、人類が火を使った証拠が残された中国最古の遺跡である。 「西侯度遺跡文物保護所」の張雯(Zhang Wen)所長が21日、記者の取材に応じ「火の使用は人類が毛のついた獣肉や血を食らう原始的な生活に別れを告げ、徐々に文明に向かって進んでいることを表している」と語った。 当日はちょうど「河東を歩く-運城にて文物保護」海外中国語メディアの取材活動が行われており、米国、フランス、カナダ、スウェーデン、イタリア、ポルトガルなどの国と地域の中国語メディアのメンバーが西侯度遺跡を訪れていた。 山西省(Shanxi)運城市(Yuncheng)芮城県(Ruivheng)に位置する西侯度遺跡は、1959年に考古学者によって発見された。そこからまた文明の火が光を発している。 この遺跡は61年、62年、05年の3回にわたって発掘され、古代の脊椎動物の化石や石器が大量に出土している。 中国科学院地質研究所の研究員たちは、古地磁気法を用いて、西侯度遺跡の絶対年代を今から180万年前と推定した。その後フランスの学術誌『人類学(Anthropologie)』が、この遺跡の最新の年代測定データを約243万年前と発表し、年代を60万年以上もさかのぼらせた。 張雯所長の説明によれば、遺跡の「文化層(生活痕跡層)」からは黒灰色と緑灰色の化石が発見され、その大半は哺乳類の肋骨、鹿の角、馬の歯で、測定の結果、それらは火で焼かれた骨であることが判明したのだという。 今からおよそ300万年から1万年前までは旧石器時代と呼ばれ、人類が石器を主要な道具とし、定住せず、漁、狩猟、採集をして暮らした時代である。 西侯度遺跡から出土した最も代表的な遺物は、3本爪の大型の尖頭器だ。鍬(くわ)のように根菜を掘り起こしたり、短剣のように動物を解体したり、初期の人類が食料を得るために不可欠な道具だった。この遺跡から現代の人たちは、人類の祖先の長く苦しい採集生活を垣間見ることができる。 「西侯度人が作り出した旧石器時代の石器は、やはり運城市で発見された今から約60万年前の匼河人の遺跡への発展を経て、やはり山西省の襄汾県(Xiangfen)で発見された約12万年前の丁村人につながる「大型石器の伝統」を継承しており、華北旧石器文化の二つの大きな伝統の一つです」、張雯所長は記者たちにこのように紹介した。 考古学者たちは山西省で次々に旧石器時代の遺跡を発見し、200万年以上前からこの地に人類が繁栄していたことを証明している。人類文明の起源を辿る上で、山西省は重要な位置を占めている。 中国の内外で暮らす中国の子女たちは、自分たちのルーツがどこにあるのかを知っている。 中国人は、中国文明を継承、発展させるため、自分たちの歴史と文化をさらに理解し、学び、世界にも紹介していく必要があるだろう。 今回の海外の中国語メディアの西侯度遺跡訪問は、中国共産党運城市委員会宣伝部の指導のもと、運城市帰国華僑連合会と運城市文物保護センターが主催し、中国新聞社(CNS)国際伝播集団の山西支局が請け負ったイベントである。(c)東方新報/AFPBB News ※「東方新報」は、1995年に日本で創刊された中国語の新聞です。