前例ない広域避難 専門家「転居増えると関連死増の傾向」30人認定の災害関連死めぐる今 能登半島地震
長引く避難生活での疲労やストレスによる健康状態の悪化などが原因で亡くなる災害関連死。能登半島地震では発生から約4か月半が経った先週、石川県と関係する市町による初めての審査会が開かれ30人が認定を受けました。しかし未だ、70人以上の遺族が認定を待っている状況です。家族を亡くした遺族の言葉から災害関連死のいまを見つめます。 【写真を見る】前例ない広域避難 専門家「転居増えると関連死増の傾向」30人認定の災害関連死めぐる今 能登半島地震 中竜夫さん 「母ちゃんこれ、買うてきたよ」 中竜夫さん(71)。妻の紀子さんは地震から9日後の1月10日、71歳で亡くなりました。 中竜夫さん 「あっという間に4か月経ったて。いままで母ちゃんしとった仕事全部自分でせんなんがや。洗濯から飯から。すぐやて。」 今月10日、4回目の月命日を迎え仏前に備えたのは紀子さんが好きだったチョコレートとバナナ。毎月、欠かすことはありません。 中竜夫さん 「家事は大変だと思った、よくやってくれたなと思う」 ■集落は孤立、倉庫に避難した住民 記者 「輪島市中心部から8キロほど離れた滝又町、大規模な土砂崩れが発生し地震で一時孤立しました」 輪島市の山あいに位置する滝又町は地震によっていたる所で土砂崩れが発生し道路が寸断。一時、孤立状態となりました。中さん夫婦は、農機具を保管する倉庫で近くの約15人の住民と避難生活を強いられました。 中竜夫さん 「肥料をベッド代わりにして、この上コンパネ並べてここに4人か5人。ずっと寒かった」 竜夫さんは寝る間を惜しんで薪ストーブを焚き続けましたが、冬の寒さで倉庫は冷えきったまま。こうした生活が10日間続き、紀子さんの様子に変化があったといいます。 中竜夫さん 「普通にしとってんて。普通に生活して昼飯食べて家にトイレに来た。休んでたら急に悪くなって」 消防への救急要請も届かず、紀子さんは1時間後に息を引き取りました。集落ごとヘリコプターによる救出活動が行われたのは翌日のことでした。 中竜夫さん 「なんとしてもここを生き延びてというか、迎えに来るのを待っていた。早く来てほしかった」