新国立劇場「デカローグ」全十篇に出演中。亀田佳明が明かす、“ある余白の存在”への思い
新国立劇場で進行中の一大プロジェクト、ポーランドの映画監督キェシロフスキによる十篇の連作集『デカローグ』の完全舞台化、その全作品に出演する亀田佳明。十戒をモチーフに、1980年代のワルシャワ郊外にある巨大アパートに住まう人々の姿を描く十の物語、そこで彼が演じるのは、台詞を喋らず、登場人物たちを静かに見つめる不思議な存在だ。4月にスタートした公演も、あとはプログラムD・E(デカローグ7~10)の上演を残すのみに。その稽古期間中に行ったインタビューでは、この役柄、物語に真摯に取り組む彼の思いが浮き彫りに──。 【全ての写真】新国立劇場「デカローグ」全十篇に出演中の亀田佳明
できるだけ価値基準を持たない、フラットな存在に
──同時進行で複数のエピソードのお稽古に参加、さらに、並行して上演される本番の舞台に立っていた期間もあり、実に多忙な日々を過ごしてこられました。完全舞台化の折り返し地点を過ぎたいま、あらためて、舞台『デカローグ 1~10』にどのように取り組まれてきたのかお聞かせください。 一つひとつを振り返る間もなく、ずっと駆けてきました。皆さん僕の体調をすごく心配してくださって、「大丈夫ですか?」「顔、疲れてますよ」と言ってくださるんです(笑)。それぞれの作品が別のお話ですし、意外とこんがらかることもなかったんですよね。役柄の職業は登場する回によっていろいろと変わるけれど、関わり方としてはひとつ通底しているものがありましたから。この役が人、物語をどう見つめていくかということに関しては、一貫したものがあると感じていたんです。 ──「一貫したもの」について、どのように感じ、演じられてきたのでしょうか。 稽古前に感じていたこととは微妙に変わってくるところもあるのですが、人間に対して、物語に対して、時代背景に対しての距離感みたいなもの──俯瞰しながら、どこか価値基準というものをできるだけ持たないというか、フラットな存在にしていったほうがいいのではないか、というのが、いまの時点で強く思っていることです。 そうすることで、物語がより立体的に見えてくるようなところもあるのかなと思います。すごく明確に、具体的に書かれた部分がありながら、終わった後にどこか余白を残す部分もあって、お客さまが「この後どうなるのかな」「ふたりの関係はどうなっていくのかな」と想像していくこと、また作品がどう昇華していくのかということもひっくるめて、その手助けとなるのが、僕の演じる「男」という存在なのかなと。“ある余白の存在”と捉えてもいいんじゃないかと思うのですが、そうであればやはり、偏った価値基準とか評価というものがあまりない、フラットな状態でいるべきなのかなと思います。