「元気で生きていることが信じられない」…竹中直人が語る「68歳の生き方」
まだまだ生きなきゃ
「僕なんか絶対に1年で消えると思っていました。いろんなテレビの仕事をしましたが、明るい照明の下でたいして面白くもないぼくの芸にみんなゲラゲラ笑ってくれる。自分がやっていることがそんなに面白いはずがないという不安がいつも根底にあった。そして注目されるのが恥ずかしかった。バラエティが苦手だったので、デビューしたばかりの頃がいちばん辛かったです。そんな情けない不安定なぼくにお仕事をオーファーして下さる人がいた」 役を「断らない」理由は、そんな過去の経験にあった。 売れっ子になってからも驕ることなく、内気さを持ち続けている竹中。多忙な日々を送っているが、プライベートでは「お酒」が安らぎとなっているという。 「将来のことはずっと不安です。でも出会った人たちが僕を支えてくれています。一番大きかったのは、僕にお酒を教えてくれた東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦、そして大貫妙子さん。 実は僕は47歳までお酒を飲めなかったんです。それまではお酒をおいしいと思ったこともなかった。それにめちゃくちゃ弱かった。ビール3口で、顔が真っ赤になってしまった。そんな僕に、酔う楽しさを教えてくれたのですから、このお2人には一生感謝です」 俳優としては、当初はわき役が多かった。が、徐々にシリアスな役や小市民役、悪役と役柄を広げていき、1996年、NHK大河ドラマ『秀吉』で主演の豊臣秀吉に抜擢されて以降は順調にキャリアを積んでいった。90年代はもちろん、2000年代になってもその勢いは衰えることなく、年に10本近い映画に出演するなど、竹中曰く「あの頃は映画の神様がぼくについてくれていたのかな…」というのも頷ける。 芸能生活も40年を過ぎた。今振り返るとあれが転機だったというものはあるのか。 「転機なんてものは考えたことがない。(自分を変えたのは)今まで出会ってきた人々です。家族やともだち、学校の先生。それまで見てきた優しい人、めちゃくちゃ嫌なやつ、許せないやつ、大好きな人、忘れられない風景。 ある人の言葉、声、音色、佇まい。肌の温もり、手の感触、眼差し……大切だったものを失うこと……。そして、映画の監督やスタッフ、大好な映画館や、音楽、文章、絵画、写真、が常に自分を支えてくれています。 落ち込むことも多いけれど、まだまだ生きなきゃ……ですね」