「元気で生きていることが信じられない」…竹中直人が語る「68歳の生き方」
---------- 7月26日公開の映画『もしも徳川家康が総理大臣になったら』など話題作に次々出演、5年半ぶりの個展「なんだか今日はだめみたい」を開催中の俳優・竹中直人に密着取材。知られざる過去、そして68歳の生き方について、迫っていく。 ---------- 【写真】5年半ぶりの個展を開催中!竹中直人の「絵」 『浜辺美波も可愛いけど…竹中直人が明かす! 最新作の撮影中に“夢中になった”俳優の名前』より続く…
「笑い」で学費を荒稼ぎ
「(多摩美術)大学時代は内気な自分にいら立って、その裏返しの感情が前に出て来ました。いつか必ず映画の世界に行くと決めていたので就職は考えなかった。 卒業はギリギリ。英語の試験が全くできなくて、苦し紛れに答案用紙の裏に『燃えよドラゴン』のブルース・リーの台詞を英語で書いたら何とそれでオッケーだった! そういうのが許された時代でした」 不安定な道に進むことを決めた竹中に対して、家族はどんな反応だったのか。 「父は僕を何一つ束縛することはありませんでした。自分のやることを否定されたこともないです。僕も照れくさかったので相談はせずに全て自分で決めていましたが。 病気がちだった母は、僕が17歳の時に突然に亡くなりました。身近な人の死を体験したのは初めてだったから、もう毎日泣いていましたね」 4年生の頃から状況劇場や黒テントなど様々な演劇に触れ、俳優の道を志すように。大学卒業後、『劇団青年座』に入団する。 「しかし学費が一年で30万円! そんなお金はありません。ところが! 雑誌『ビックリハウス』主催の“3分間で人を笑わせたら賞金30万円”というイベントで優勝してその30万円をゲットしたんです!」 「授業料はこの賞金で賄えた」とニヤリ。しかし、本科での1年を経た後、実習科に残れた竹中はまた1年間の授業料を稼ぎ出さなければならない。そこで頼ったのが、広告代理店に勤める多摩美の先輩たちだった。 「ぼくは色んな声が出せるのでCMのナレーションのお仕事をたくさん頂いたんです。本職の声優だったらすごい金額だと思いますが、僕なら安く使える。と言っても当時声の仕事だけで5万円も頂けたんです。あと店舗用のビデオカメラの説明のナレーションや、動画撮影では10万円も! バイトじゃ一気にそんな稼げないですからね。それで授業料は払えちゃいました」 コメディアンとしても活躍しテレビ界を席巻したが、実は芸能界は苦手だったと明かす。