「子持ち様」という俗語はなぜ生まれた? 誰もが働きやすい社会の実現が急務
「子持ち様」の言葉が生む分断を避けるには、誰もが働きやすい環境が必要
――ネットやSNSなどで「子持ち様」という俗語を目にすることが増えました。子育て中の従業員のフォローに回る人からの不満が噴出しているケースが多いかと思いますが、こういう言葉が生まれてしまう背景をどう分析されていますか? 上原:子育て世帯が働くことに対する制度や取り組みは、十分とは言えませんがある程度はあります。ただその対象があくまで子どもがいる人であって、さらに言うと子どものいる女性に対してのみ適用されている現状があり、これが分断を生んでしまっていると思います。 さらにその企業の中で長時間労働が前提になっていたり、業務フローについても効率化や生産性を向上するような施策がなかったりする状況だと、子どもがいるから早く帰らないといけない従業員や、休むことが多い従業員の業務は他の誰かが背負わないといけなくなります。 するとフォローする側の従業員がさらに長時間労働になり、休みづらくもなってしまいますよね。 ――そのような状況をどうすれば、改善していけるのでしょうか? 上原:子育てによって起こる仕事への影響や制約は、ゼロにすることができません。子育ての負担を夫婦の片側だけが負わないようにすることも重要ですが、これは夫婦間だけで解決しようとしても難しく、お互いの会社まで含めた4者が協力して、意識を変えていく必要あると思います。 例えば、育休制度を利用するのは一般的に女性側が多いかと思います。その場合、女性が勤務する企業では、担当の引継ぎや人員補充などを行わなければなりません。 男性側にも育休を推奨する企業は増えてきてはいるのですが、積極的に利用できる空気ではないところもあるでしょう。そのことから、男性側の勤務先ではあまり業務に支障が少なく、影響を受けにくいともいえます。 こういった状況から、「子どもがいる人、特に女性は企業にとって扱いづらい」という印象を植え付けてしまっているかもしれません。 子育て中の従業員やそのサポートに回る従業員に対しての配慮が企業側に必要な気がします。育児制度を利用するのが女性側、子育てを担うのは女性側、という固定観念を払拭した取り組みをぜひ行ってほしいですね。 ――子どもの体調不良など突発的な対応も、夫婦間で、ある程度分担できれば負担を軽減することができますね。 上原:はい。とはいえ、どちらかがエッセンシャルワーカーの場合など、急に休めない、現場に行かないといけない場合は、分担がなかなか難しいとは思います。自由度が高い仕事についている側が、負担を負わざるを得ないという状況はあるかもしれません。 ――企業側ができる工夫には、どんなものがありますか? 上原:子育てをしているかどうかにかかわらず、どんな事情の人でも休みやすくしておくことで、分断が生まれにくくなると思います。 例えば業務を効率化する、電子化する、生産性を向上させる、フレキシブルな働き方を導入するなどして、一時的に誰かが休んでも業務が回るなど、誰でも休みやすい環境にしておくことが大事だと思うんです。 ――子育て中の従業員をフォローする立場の人に対して、企業側が努力や検討すべきことはありますか? 上原:何が評価される職場・業務なのかによって、できることが変わってくると思うのですが、先ほどお伝えした業務の効率化を行い、フレキシブルな働き方が実現できれば、フォローする側にとってもある程度負担を軽減することができると思います。 あとはエッセンシャルワーカーのように、その場に誰かがいることが求められる仕事の場合は、フォローをした人にインセンティブをつけたり、評価をしたり、ちゃんと見返りがあるような状態をつくらないといけないと思うんです。 例えば、三井住友海上火災保険には、育休取得者の同僚に対して、最大10万円の給付を行う、「育休職場応援手当(祝い金)」という制度があります。 ――なるほど。ただお話しを伺っていると、そういった手厚い制度を実現できる大手企業は良いとしても、中小企業や少人数経営の企業には厳しい時代になっているとも感じました……。 上原:そうですね。ただ、結局働きやすさがないと人が辞めていってしまうことは間違いないので、労働者に対する正しい投資がどの企業にも必要になってくるとは思います。 残業代を支払わなくても長時間労働が成り立ってしまう時代がありましたが、今では絶対に無理ですよね。これからフルタイムで働けて、残業も可能という労働者の比率は確実に減っていくと思います。そもそも人口が減少し、経済も成長していない中で、子育てに限らず、介護や不妊治療など、個人の事情はますます多様化していくはずです。 働くことの前提をよりフレキシブルに変えていかないと、労働市場自体がもたなくなってくることは間違いありません。「子持ち様」という言葉は、その過渡期にある問題の一つだと捉えることもできると思います。