映画『HAPPYEND』のW主演俳優が語る、心や価値観を揺さぶる物語と音楽のパワー
無関心と不寛容が支配する「ありえるかもしれない未来」。『Ryuichi Sakamoto | Opus』を手がけた空音央監督による初の長編劇映画『HAPPYEND』は、そんな遠くて近い日本を舞台に、イノセントでいられなくなった高校生達の友情の変化を描く。W主演に抜擢されたのは、ともに今作で映画デビューとなる栗原颯人と日高由起刀。すれ違うユウタ(栗原)とコウ(日高)がまとう危うさを、生々しい存在感で演じきった。現在は共同生活を送っているという二人が考える、友情について、音楽について、未来について。役柄から離れた彼らのリアルな声を聞いた。 【写真を見る】栗原颯人と日高由起刀 ー今作はお二人にとってスクリーンデビュー作となります。出演が決まった時はどのように感じましたか? 栗原 当時はまだ右も左も分かっていない状況だったので、ワクワク感が強かったです。オーディションのお話をいただいた時はモデルの仕事を始めてから2カ月くらいのタイミングで。漠然と俳優をやってみたいと思ってはいたものの、いざ決まったとなると実感が湧かないというか。あっという間に撮影が始まって、今月(9月)にはヴェネチアに行かせてもらったり、時間の流れがすごく早く感じるし、頭が若干追いついてないです。 日高 僕も彼と同じくらいのキャリアなので、「いつか」と思っていた機会が急に来たような感覚でした。台本をいただくこと自体初めてでしたし、試行錯誤しながらオーディションに臨んだんですけれど、コウという役柄に自分と重なる部分が多く、映画の内容も興味深かったので、出演したいという気持ちがどんどん高まっていって。合格した時は素直にすごく嬉しかったです。 ー栗原さんのお話にもあった通り、初主演作がヴェネチア国際映画祭に出品されお二人も現地に赴くなど、今作によって周囲の環境が目まぐるしく変化しているのではないかと思います。 栗原 日本だけじゃなく、世界の人に映画を観てもらえて、色んなところでの上映が決まって。予想だにしないことが起きすぎていて、毎回ビックリしています。そんな貴重な体験をさせてもらえたことは一生記憶に残るだろうし、デビュー作がここまで広がっていくのは嬉しい限りです。これからも俳優を頑張ろうと思わされてます。 日高 正直、オーディションの時点では映画の規模感が理解できていなかったので、今になって二人で「最初はこんなことになるなんてわからなかったよね」みたいな話をよくしてますね。でも、もしどこかのタイミングで違う選択をしていたらこんな機会はなかっただろうし、ありがたみは強く感じてます。こういう仕事をやらせていただく上で、「自分が一番演技が上手いんだ」「一番カッコいいんだ」というマインドを常に持つようにしているので、そうやって食いついてはいるんですけれど……ふとした時に冷静になると、いろいろ凄いなと思います(笑)。 ーでも、今回の作品や演技には自信を持っているということですね。 日高 もちろん。でもそれは、監督やプロデューサーをはじめとした周囲の方々のサポートのお陰だと思います。 ーユウタ=栗原さん、コウ=日高さんにはそれぞれ環境やルーツに共通点が多いそうですが、自分とシンクロする人物を演じるのはどのような感覚でしたか? 栗原 僕もユウタもシングルマザーの家庭で、テクノが好きで、楽しいことが大好きで。ずっと楽しいことばっかりしていたいっていう考え方まで僕と近かったので、オーディションの時に驚いて、音央さんに「100%僕だと思いました」って話もしたんです。演じる上では、僕が当時23歳だったので、思春期の尖った感じやある種の幼さについてよく考えました。そのままの自分でいるのも違うなと思って。無邪気な表情の作り方や、若さゆえの感情の溢れ方を意識してましたね。 日高 僕自身が高校卒業したてでしたし、コウのように感情が揺れ動いて選択を迫られるという経験を学生時代にしてきたので、考えて演技をしようというよりも、どれだけ自分自身に近付けられるかというイメージでした。監督からも「コウじゃなくて由起刀としてどう感じる?」という言葉をよくかけていただいたので、あまり気負わずにやらせてもらって。初出演作なので、もうこれから先こういう演技はできないかもしれないけれど、それもキャスティングの狙いだったと思うし、フレッシュに演じることができて良かったです。 ー『HAPPYEND』は、多感な高校生達の価値観が揺らぐ瞬間が物語の起点となっています。お二人は、今作への出演を通して自身の価値観が揺らぐ感覚はありましたか? 栗原 脚本を読んだ時も撮影の時も僕はユウタを追っていたこともあって、映画に詰まっている社会的なメッセージにパッと気付けていなくて。でも、出来上がった作品を観た時に、自分もやっぱり考えなければいけないなと思わされました。これから観ていただく方も、何かを考えるきっかけになるのではないかと思います。 日高 僕も台本を読んですぐに内容が入ってきたわけではなかったんですけれど、音央さんがともに勉強をする機会を設けてくださって、過去のドキュメンタリー作品に触れたりして。僕自身、祖母が韓国人というルーツもあるので、もっと色々な事を知っていかなければと思いました。音央さんは、直接言葉になっていなくとも観終わった後に考えさせられるような作品を作る方ですが、今作にもそういったものを感じました。どの層にも刺さる作品だと思います。 ー劇中でのユウタとコウの関係性の変化には、率直にどのような印象を抱きましたか? 栗原 同じものを見ていた二人が異なる環境に進んですれ違いが起きるというのは、もちろん悲しい面もありますけれど、新たなことに気付かせてくれる友達というのはとても大事だと思うし。コウのお陰でユウタが何かに気付いて変化が訪れたのは凄く大きな一歩だから、僕の中ではまさに『HAPPYEND』だなと思います。 日高 映画の中の時間に限って言えば、コウにはモヤモヤや後悔が残ったかもしれないけれど、何年か経って振り返ったら、おかしいと思ったことをおかしいと訴え続けたあの時の決断は間違っていなかったと割り切れるんじゃないかなと思います。この作品を通して、友情の儚さや脆さ、尊さは言葉で表せられないものなんだなと感じましたし、同じような悩みを抱えている僕らより下の世代にも観てほしいですね。 ーお二人は、実際の友情関係の中で世界に対する目線の違いを感じてしまった時、どのように向き合いますか? 栗原 僕は新潟出身なんですけれど、地元の友達はみんな安定した職に就いていて、芸能活動を志しているのが本当に僕ぐらいだったんですよ。だから、未来の捉え方みたいなものが全然違っていました。でも元々は「楽しい」「面白い」と感じるもののセンスを共有できていたはずだから。その共通するものを大切にしながら、違うものも認め合える関係を大事にするべきだと思います。 日高 僕はずっとスポーツをやっていたり、芸能やモデルの活動を志したりする中で、これまでに周りの人に否定されるようなことはあまりなかったんです。もし否定されたとしても、それって「あなたがいないとダメなんだ」っていう、遠回しな深い愛情表現なのかもしれない。普段から尊敬し合えて、お互いの弱さを見せ合える関係であれば、そうやってぶつかり合うことも受け入れられるんじゃないかなと思います。