ナベツネさんは「派閥を石原伸晃に譲れ」と…!元自民党副総裁・山崎拓が語る、渡邉恒雄と石原慎太郎に呼び出された夜のこと
盟友・氏家齋一郎
「ナベツネさんは偉そうにしていると見られがちだが、我々の前ではざっくばらんだった。非常に筆まめな方で、私の近況を気にかけてくれた。陰では『ナベツネさん』と呼んでいたが、面と向かって呼んだことはない。個人的にお世話になったこともあり、敬愛していました」 【写真】トランプ前大統領の娘「イヴァンカ・トランプ」の美貌とファッション こう回想するのは、元自民党副総裁の山崎拓氏(88)だ。 読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡邉恒雄氏が昨年12月19日、肺炎のため亡くなった。98歳だった。 読売新聞社を発行部数1000万部を超える巨大企業に成長させた渡邉氏は「メディア界のドン」として君臨する一方、「フィクサー」としての顔も持ち、政界に絶大な影響力を誇った。 前編記事『「東大ではなく早稲田慶応くらいが記者にはちょうどいい」…!《読売新聞のドン》ナベツネが山崎拓に明かした「本音」』に引き続き、親交のあった山崎氏が知られざる「ナベツネ秘話」を明かす。 「衆議院議長や自民党副総裁を務めた大野伴睦さんの番記者を皮切りに、ナベツネさんは常に権力の近くにいた。中曽根(康弘)さんとの深い関係は有名です。当時、ナベツネさんは、盟友の氏家齋一郎さんとともに中曽根政権維持を目的とした様々な政界工作を担っていた。私は官房副長官だったが、中曽根さんから2人との連絡役を仰せつかり、付き合いが始まった。 ナベツネさんも氏家さんもジャーナリストの枠を超え、裏方として政権を支えていた。ナベツネさんは政治部、氏家さんは経済部だったが、この頃は氏家さんが主導していた。中曽根内閣は売上税の導入を目指しており、公明党の協力を得ようとしていたが、氏家さんが公明党と親しかったためです。私も中曽根さんの指示で矢野絢也さんのところに通った。 2人を比較すると、ナベツネさんは哲学者。一方、氏家さんは現実主義者。ともに敬愛していましたが、個人的な付き合いという意味では氏家さんとの方が深く、それこそ連日連夜会っていた時期もありました」