「高額の借金返済」に「梅毒のリスク」…遊廓が「二度と出現してはいけない悪所」だと言える「ヤバすぎる真実」
現代にも通じる「遊女たちの苦しみ」
第1に、遊女として働いても、キャリアの積み重ねになりません。遊女として働いていた履歴は次のステップにつながるどころか、むしろ全く異なる仕事に就くことが困難になるでしょう。同じ世界の中で、たとえば「遣手」というマネージャーになったり貸座敷を経営したり、遊女屋そのものを経営することはあり得ますが、外に出ることは難しいです。 第2に、仕事の能力はあるていど年齢とともに上がっていくもので、社会の変化によってそれが難しくなった場合も、学び直しによって新たな能力を身につけることができます。しかし遊女という仕事は年齢が若い時しか価値を認められず、年齢によって価値が落ちていきます。これでは成長の意欲につながりません。 第3に、病と暴力の危険に常にさらされています。梅毒は近代以降に検査体制が確立されましたが、それまでは運に任されました。また遊女は人前で食事をすることができませんので、台所で素早く掻き込むような食生活をしていました。豪華な座敷や衣装があったとしても、飲食や旅行を楽しみながら健康を維持する生活とは程遠く、若くして亡くなる遊女も少なくありませんでした。 また、客の中には遊女を乱暴に扱う客も、お金の力で言うことをきかせる客もいたでしょう。高級な遊女屋ではそういう客を見分け、入れないようにしていましたが、河岸店(かしみせ)と言われるお歯黒溝(おはぐろどぶ)沿いに並ぶ小さな店には、どんな客が来るかわかりません。遊廓は高級で豪奢な面ばかりでなく、危険もたくさんあったのです。 第4に、真剣な恋愛をしたとしても、相手にお金がなければ借金を返済してもらって請け出してもらい、結婚するということにはなりません。年季が終わるまで待つ場合は、恋人とは別の男性たちとできるだけ多く床をともにして年季が伸びることのないようにしなければなりません。その苦痛と相手の男性の経済事情があいまって心中する事例もありました。 選ばれない仕事に女性たちを就かせるために、前借金の制度は使われていたと考えられます。これは、今日におけるジェンダーの問題を考える上でも、非常に重要です。 なぜそれを克服してくることができなかったのか? そして吉原が消滅した戦後から今日まで、女性は仕事という側面において、なぜこうも選択肢が少ないのか? なぜ非正規社員という働き方を余儀なくされるのか? これらは家族制度への、日本人の固定化された発想とも深い関連があります。個々人がそれぞれの能力を伸ばし、自立した生活を送り、それによって充実感を持ち、その状況を支え合うのが家族のはずですね。家庭が負っている労働の側面を押し付け合うのが家族ではありません。 遊廓は、家族が生き残るために女性を、誰も選びたくない仕事に差し出す制度でした。そのことの意味を考え、同じようなことを今日の私たちはしていないのか、と立ち止まる必要があると思います。 さらにこちらの記事<良い香りを放つ「教養のある遊女」が手招きし…「娼婦の街」と誤解されがちな遊郭が「日本文化の華開いた場所」だったという「知られざる真実」>では、「あってはならない悪所」遊廓の魅力と「知られざる真実」をわかりやすく解説します。ぜひお読みください。
田中 優子