「高額の借金返済」に「梅毒のリスク」…遊廓が「二度と出現してはいけない悪所」だと言える「ヤバすぎる真実」
2025年大河ドラマ『べらぼう』の主人公・蔦屋重三郎は、遊郭で栄えた街として有名な吉原で生まれました。吉原遊郭では、華やかな遊女たちが手招き、夜も眠らない「不夜城」と呼ばれていました。 【写真】「借金返済」「梅毒のリスク」…遊廓の「ヤバすぎる真実」 はたして、日本人にとって「遊郭」とは何だったのでしょうか。『遊郭と日本人』の著者・田中優子さんが、「あってはならない悪所」遊郭の世界をわかりやすく解説します。
ジェンダーから見た遊廓の問題
この本は「遊廓」についての本です。日本の遊廓は1585年から1958年まで373年間にわたって続きました。それほど長い歴史を持ってはいるのですが、ここでは一種の街である「廓くるわ」を形成し、日本の文化に深く関与した江戸時代(1603~1867)を中心にします。 また、全国に25ヵ所以上あった公認遊廓の中でも、江戸の吉原遊廓を事例として、皆さんに遊廓を案内します。 さて、本論を始める前に読者の皆さんにお伝えしたい大事なことがあります。それは、「遊廓は二度とこの世に出現すべきではなく、造ることができない場所であり制度である」ということです。 なぜなら、遊廓は江戸時代の文化の基盤であり、力の源泉でもありましたが、とても大きなお金が動く世界だったからです。 これから遊廓の1年、その年中行事、遊廓の一日、遊女とはどんな人たちか、遊廓に来る客のことなど、さまざまに述べますが、それはたいへん豪奢な世界です。その豪華と活気を支えるために、多額のお金を払う人たちがいました。大店(おおだな)の経営者や大名たちで、「お大尽」と呼ばれました。 お金を払う人たちがいるということは、お金を受け取る人がいたということです。お金を受け取るのは遊女ではありません。遊女屋(妓楼)の抱え主(経営者)でした。もちろんその他の組織もお金を受け取るのですが、それについてはのちほど詳しく書きます。 なぜ遊女はお金を直接受け取れないのか? それが、「遊廓は二度とこの世に出現すべきではなく、造ることができない場所であり制度である」ことの理由です。 遊女はその家族が抱え主から「前借金」をし、その家族のひとりである女性が遊女となって借金を返す仕組みでした。したがって、借金返済が終わるまでにやめることも逃げることもできませんでした。厳重な監視下に置かれることもありました。 売買されるわけではないので奴隷ではありませんが、「借金のかた」「抵当」として自由が奪われていたことは確かで、そのような方法は人権侵害にあたります。 なぜこの方法によってしか遊廓が成り立たなかったのか、なぜ女性の自由な働き方で経営ができなかったのか、それは単に経済の問題としてではなく、ジェンダーの問題として考えなくてはなりません。 結論から言えば、多くの仕事の選択肢があって、遊女もそのひとつだった場合、ほとんどの女性は遊女を仕事として選ばないであろう、ということです。