五木ひろし「地味にすごい」故郷・福井県。大河で話題の紫式部もいた!メガネにハープ…記念すべき年に故郷を歌う
◆美浜・五木ひろしふるさとマラソン 僕は福井県出身ということで福井県民栄誉賞をいただいてから、何か地元に恩返しをしたいと考えて、1989年から毎年、美浜・五木ひろしふるさとマラソンを開催しています。 今年で36回目になりますが、若狭湾国定公園の海岸線コースを走るコースは本当に風光明媚でね。日本海の潮の香りを感じながら走っていただけるマラソン大会として、すっかり定着しています。 このマラソン大会のおかげで、年に1度は福井に行き、お墓参りをしてくるということも習慣になっています。 今年も5月に開催予定なので、たくさんの方に参加していただきたいと思っています。
◆風光明媚な福井 『こしの都』の歌詞に、福井の歴史やお国柄などが盛り込まれているので、今回、あらためて福井についていろいろと勉強させていただきました。(笑) 歌詞に「今も匠が生きている」とありますが、鯖江のメガネを始め、漆器や刃物の製造も盛んです。そしてあまり知られていませんが、楽器のハープの製造会社が国内で唯一、福井県にあり、なんと世界のシェアでも2位を占めているんです。 また、「紫式部もいた」とあるのですが、僕、紫式部が若いころ福井にいたということは知らなかったです。知らなかったことを知るって、ワクワクしますね。 越前守である父・藤原為時と摂津守の娘である母との間に生まれた紫式部は、今の越前市あたりに住んでいたらしいです。大河ドラマの主役でもある紫式部ゆかりの地だというので、また誇らしい気持ちになりました。 恐竜の街としても知られているし、おいしいものはたくさんあるし、風光明媚な福井。ぜひ北陸新幹線を使ってたくさんの方に、福井にいらしていただきたいです。
◆子どものころは福井を出たいと思っていた 子どものころ、福井で過ごしていたころは、早く福井を出たいと思ってしまっていました。 父親の影響で小さいころから歌が好きになり、どんな歌でも歌えるようになっていた。将来は歌手になりたいと夢見ていたのに、福井にいるとチャンスがまったくないんです。 のどじまん大会もないし、スカウトされる機会にも恵まれない。それが悔しくてね。1963年、中学の卒業式の翌日、京都に住む11歳年上の姉を頼って上洛しました。 でも、福井のことを忘れたことはありません。歌手五木ひろしのベースを創り上げてくれたのは、やはり福井だと思っています。